93歳のブロガーに聞いてみよう。30代での人生との向き合い方

93歳のブロガーに聞いてみよう。30代での人生との向き合い方

93歳のブロガーに聞いてみよう。30代での人生との向き合い方

30代になると結婚や転職など、ライフステージの変化が重なることも増えて、将来が見通せないという人も多いようです。朝日ネットブログのアクセスランキングで常に上位に入り、話題の93歳ブロガー繁野美和さんに人生との向き合い方を教えてもらいました。

93歳のブロガー繁野美和さん。11年続くブログを始めたきっかけ

「美海(みみ)」のハンドル名でブログ「気がつけば82歳」を運営する繁野美和さん。好奇心旺盛な彼女が日常で感じたことが明るい性格がにじみ出る文体でつづられるこのブログは多くの人に支持されています。

今回は、繁野美和さんのこれまでの人生や、いまの時代に感じていることなどをインタビューしました。

――ブログを始められたきっかけは何でしたか?

繁野:もともと新しいことを始めるのが好きで、子供が完全に手を離れたあと、夫と一緒に共有できる趣味を探していました。それで夫が好きだったことがきっかけで、60歳を過ぎてからパソコンを色々と触るようになったのね。段々操作に慣れてくると、自分用のパソコンを買って、絵を描くソフトで遊んだり、ホームページを作ったりしていました。もうその頃は、プログラムを作るのが好きな夫とはまったく違うことをやっていましたね。そのうちに容量に制限がなく、手軽に記事を投稿できるブログが流行っていることを知り、私も作ってみようと思い立って始めたのが『気がつけば82歳(外部サイト)』でした。ええ、タイトル通り開設したのは82歳の頃です。

ブログでは私が生きた時代のこととか、考えたこととかを記録として残しておきたいなって思ったんです。日記だけじゃなくて、戦時中の体験談とかも書いていて、自分にとっての記録みたいなものだったのですが、思いもよらず多くの方に読んでいただいて。家族でも、離れたところに住む次男が「ブログを書いてるから元気なんだな」って思って読んでくれているみたいで、すごく楽しくて11年も続いているの。

ブログを始めて3〜4年経った頃にはね、それを見た出版社の方から連絡をいただいて、本にしていただくことになりました。

86歳ブロガーの 毎日がハッピー 毎日が宝物

86歳ブロガーの 毎日がハッピー 毎日が宝物(外部サイト)』繁野 美和著

――ブログを始めるまでの簡単な経歴を伺えますか?

繁野:小さい頃に死ぬか生きるかの病気から中耳炎にかかってしまって、耳が悪くて話すのにも苦労しました。だから幼稚園は自分の意思で行かなくて、ずっと家にこもって世界文学全集とか、いろんな本を読んでいました。

小学校に進級して驚いたのは、学校の子供たちを通じて色んな家庭があることを知ったこと。そこで初めて実社会を知ったというか。ずっと読んできた小説の世界が目の前に広がったみたいで、好奇心の強い私は方々の家に勝手に遊びに行っちゃって。

反対に、例えば私の誕生日があると、母がごちそうを作ってくれて、同級生を招待していたこともありました。けれど呼ぶ友達は母が決めるので、そのことだけは子供ながらに格差社会というものを感じてさみしかったです。

西暦と繁野さんの年齢を一致させた手作りの年表
「記録の一つとして、家族のことを書いておくんです。例えば大正11年に夫が生まれたとかね。年齢と年代を遡るときに一覧で見られると便利なんです」と、これまでの人生を振り返りながら繁野さんが見せてくれた西暦と繁野さんの年齢を一致させた手作りの年表。

何歳になっても『新しいことが大好き』。好奇心が育った理由

――幼少期から好奇心が強かったとのことですが、何か環境面で理由はあるのでしょうか?

幼少期から好奇心が強かったとのことですが、何か環境面で理由はあるのでしょうか?

繁野:元々の好奇心の強さに加えて、親が私を自由にさせてくれていたことは大きかったと思います。父の教育方針が、「子供は構うな。ただ見守っていればいい」というものでした。

例えば小学校低学年なのに恋愛ものの小説なんか読んでいたらね、心配した母が父に「恋愛ものなんか子供に読ませて大丈夫?」って相談していたんですって。けれど父は進んだ人で、「家には子供が読んで悪いものは置いていないから大丈夫だよ」とかばってくれていたとあとで聞きました。

私は新しい知識や体験に触れるのが好きで、父がいろんな本を買ってくれていました。小学校3年生くらいで買ってもらった『子供の科学』とか『ファーブル昆虫記』に本当にハマっちゃって、その頃はしばらく文学離れしたくらいでした。

ともかく好奇心が強かったものですから、学問だけでなく、社会常識についてもわりと早い段階で学ぶ機会が多かったと思います。例えば小学校を卒業して県立か公立のどちらかの中学校(旧制中等学校)に進学するとなったときに、母に「どうして○○さんは女学校に行かないの?」と訊いたりして。これは学費の問題があったんですけど、金銭面で進学先を変えなきゃいけないという世のなかの不平等さに、子供心にも「どうして育ちで学校を選ばなきゃいけないのよ!」と思いました。

旧制中等女学校(現在の甲南女子中学校・高等学校)にあがるときには、父に「しっかり遊んでこいよ」と言われて、勉強そっちのけで言葉通りに学校へは遊びに行っていました。遊びとはいっても、ずっと本ばっかり読んでいましたけれどね。

小学生の頃に読んだ『子供の科学』などの影響で幾何とか数学とか大好きでしたから、中学2年生ぐらいの数学の先生に「平行線はまっすぐ全部平行って習いましたけど、宇宙に果てがあるならその先はどうなるんですか?」なんて訊いたりしたんです。その時の先生は、本当に真面目に答えてくださって。私のような個性の強い人間を抱えてくれる自由な学校でした。

そのように家庭だけでなく、学校でも自由に恵まれた環境にいましたので、ずっと自分の好きにやっていました。私が中学生だった1940年頃といえば、戦時中で不自由な時代というイメージがあるかもしれませんが、私が生きてきたような自由な環境もありました。

――大人になっても『新しいことが大好き』ということは変わりませんでしたか?

繁野:小さい頃も今も、やりたいことが出てきたらまずはとにかく試しにやってみる、という姿勢は変わりません。経済的にできないことは頭から諦めていたし、高望みはしなかったですけれど。

ブログを始めたのは80代になってからですが、それ以前の50代の頃は人形作りにハマっていました。たまたま鎌倉の人形展を観に行ったのがきっかけになって「人形を作ってみたい」と思ったの。それですぐに教室を調べて通うようになったんです。

50代の頃に、繁野さんが制作した人形
50代の頃に、繁野さんが制作した人形

繁野:ぬいぐるみのような人形から彫刻のようなものまで作っていたのですが、人形を作っていると、デッサンがちゃんと出来ないといけないなと思って、今度は絵のアトリエを探しました。見つけたアトリエでは、生徒に「どういうふうにやりたい?」と訊いて個性を伸ばす自由な教え方をしてくれる先生との出会いがあって、それから30年間絵を続けるようになったきっかけになりました。

絵にハマった途端、10年間みっちりやり続けた人形制作は飽きてしまって、それ以降はずっと絵ばっかり描き続けています。絵は人形と違って、完成っていうものがないですから、終わりがないんです。

繁野さんのスケッチ作品
繁野さんのスケッチ作品
繁野さんのスケッチ作品

子育てに追われた30代。いまとは違う育児を取り巻く環境

――20〜30代のお話を伺えますか?

繁野:昭和25年の28歳の頃、お見合いで結婚しました。結婚前にデートも1〜2回しましたが、当時は夫も私も若くお給料が安くて、川沿いに蛍を見に行くとかそういうデートしか出来なかったんです。デートから帰ると義理の母が、「どうして喫茶店くらい入ってこなかったの」とか言うんです。けれど私は、贅沢しない楽しみってすごく好きでした。

結婚後には、国民宿舎などお金のかからない旅行を夫とよくしていました。夫は「もっと贅沢な旅館なんかに泊まった方がよかったんじゃないか」なんて後になって言っていましたけれど、私はこれっぽっちもそんなことを思っていなかったから、びっくりしました。 外でその地域で作られた食べ物を買ってきて、宿で食べるという自由な旅行が楽しかったです。

――結婚後の30代は、どのように過ごされましたか?

繁野:30歳になったのは昭和27年で、戦争が終わってまだ7年の頃です。子供が5歳と3歳になったばかりで、阪神間の山の上にある小さな家で育てました。昭和35年には、夫の東京転勤で子供を連れて、社宅がある自由が丘に引っ越して、1年後くらいには海が見える横浜に家を建てました。小学校も近かったし、子育ての間はずっとそこにいました。神戸で育ちましたので、海が見えるところが良かったんです。

この時代は、関西に住んでいた頃も横浜に移り住んでからも、人付き合いが苦手でしたから周りに誰も助けてくれる人はいないし、相談できる人や戦前のようにお手伝いさんもいなくて、全部一人でやらなくてはならず大変でした。けれど、育児の間の引っ越しにもわくわくして、寂しさというのはありませんでした。

ちょうどこの頃、電気洗濯機が出てきましたが、我々が買える様になったのは子供が生まれて2、3年経ってからでした。紙おむつが日本で発売される直前の時代ですし、おむつを洗うのが大変でちょっと無理して購入しました。

そんな時代でしたので、今の30代の方の生活とは全然違いますよね。もちろん悩みはあるでしょうけれど、私たちの時代は余計な心配をする余裕もなくて、今をなんとか乗り切ることで精一杯でしたから。

当時は本当に貧しい時代で、生活が大変でしたので、子供は2人までにしました。戦後しばらくして、産児制限(人為的に妊娠・出産を制限すること。日本で人工妊娠中絶が合法化されたのは1948年)の知識が一般に広がった頃です。どこの家庭も結婚するときには、母親が結婚や子育てについては教えていたし、私の母も心配してくれていました。けれど私は、独身時代に県庁の衛生部に勤めていましたから、知っていたことばかりであんまり聞かなかったくらいです。

知っていたことばかりであんまり聞かなかったくらいです

――繁野さんはどんな母親でしたか?

繁野:私は父親の「ただ見守るだけ」という方針で育ちましたけれど、自分が育児するときには、もっと構っていました。とにかく「あとで後悔してはいけない」と思っていましたので。小学校にあがってからは学校に出入りして、役員なんかも進んで引き受けたりしましたが、子供からするとうっとうしかったかも知れません(笑)。

時代柄ですが、私の母は、父の親族関係を大事にしていました。けれど、私は横浜へ移住して親族からは孤立していましたので、外聞といった外とのつながりの面で常識がありませんでした。自分のことを変わり者で家庭人じゃないし、主婦失格、母親失格と思い込んでいましたし。ですので「子供に迷惑はかけられない。なんとかちゃんと育てないといけない」って必死で。だから子育ての間は、お勤めも辞めましたし、自分の趣味は全部禁じて、主婦としての仕事でいっぱいいっぱいでした。

夫は戦時中に大学の航空工学科で、飛行機の操縦の実習もしていましたけれど、敗戦で就職先がなくて造船会社に勤めていました。けれど就きたかった仕事じゃなかったから、家庭のために仕方なく働いていることが分かったし、私はすごく気の毒に感じて。だから夫にはできるだけ子育ての負担をかけないように、「子供はお休みの日に遊んでくれればいい。叱ることは私がするから、遊び相手になってあげて」と伝えていたんです。

親が子供にできることは、木を育てるように水をやるだけです。子供が成人して結婚したときには、本当に嬉しかった。肩の荷が下りたって思いました。

今の時代の若い方にアドバイスできることはない。繁野さんが見る現代の若者の価値観

――子育てや家事で、母親の姿を参考にされたりはしましたか?

繁野:全くしませんでした。昔、私が子供の頃は、お手伝いさんがいましたので、母が家事をしている姿は見たことがなかったです。

母は社交好きでしたから、子供はお手伝いさんに預けて、遊びに出かけたりとかお稽古事とかしていました。だから、自分が親になって初めて、掃除しててもゴミが溜まってしまうとか、母親ってこんなこともしなきゃいけないんだと学ぶことばかりでした。

母親の姿が私には参考にならなかったように、私の話は今の若い方には通用しないと思っています。例えばテレビを見ててアニメなんかが始まると、昔はアニメは子供だけのものでしたから絵がかわいくても『なに子供扱いして』なんて思ってしまうし、やっぱりこれは時勢、時代にあっていないなと思います。意識自体が変わっているし、常識が違う。

今日、「30代の方に向けて」ということで取材に来ていただいたのですが、偉そうにアドバイスできることはありません(笑)。常識も価値観も違いますから、むしろ私が教えていただく立場です。私の話はあまり今の若い方には参考にはならないかもしれないけれど、「おばあちゃまの時代は、こういうのが常識だったのね」と感じてもらえればいいかしらと思います。

――アドバイスはない、とのことですが、年齢を重ねても日々を楽しく生きていくためには、繁野さんのようになんでも学ぶ姿勢が大切なのかもしれませんね。今の30代の方は、繁野さんにはどう見えますか?

繁野:今の若い方たちは、常識もしっかりして大人同士の付き合いも上手くやっているし、ずっと大人だと思います。自分たちが30代の頃は、今を乗り切らなくちゃと考えるだけ。自分たちの生活のことだけで精一杯でしたから。

昔は女性が務めること自体が特殊で、家庭に入ると外とのつながりはありませんでした。今の若い方は、横のつながりを大事にして、生きづらさがあるようにも感じますけれど、世間で生きていく知恵がありますよね。

今の若い方の常識や価値感は、私にとっては新しくて、学ぶことばかりです。

――将来のことを考えると、お金についての不安もあると思います。

繁野:今の社会は昔と比べてずいぶんと豊かになったといわれているけど、私の頃と同じようにお金に対する不安は残っていると思います。けれど、お金より大事なのはそれぞれの考え方や価値感であって、その人の精神が大事。金銭的な豊かさや貧しさで人間の価値は決まらないんだから、卑屈にならなくていいの。人生を楽しむ権利は、誰もが持っていると思います。

考え方が人生を楽しいものへ変える

年を取ると一日が長く感じるとよく言うけど、あれはウソ! 全然時間が足りないの(笑)
年を取ると一日が長く感じるとよく言うけど、あれはウソ! 全然時間が足りないの(笑)

繁野:夜中遅くまでiPadのゲームに熱中しちゃってね、気がついたら夜中の12時になっていたりするの。だからね、老後は本当に時間が足りないし、やりたいと思った時にやりたいことをやるのが一番いいの。

今は時間があれば、家族史を書きたいと思っています。今まで親戚とか家系の話をあまり家族に伝えていないし、息子たちも父親の事とか知りたいだろうから。家系や夫のことは私が伝えなきゃ、誰も分からないものですからね。けれど、ほかのやりたいことをやっているうちに時間が足りなくなっちゃいます。

戦時中の子育てに追われていた時代とか、その時々では今のことで手一杯だけど、そこを抜けると先に楽しみがあることに気付きました。育児が終わった後には、人形や絵を始めたりね。人生って楽しいんですよ。

この人に聞いてみた
繁野 美和さん
繁野 美和さん
昭和2年、兵庫生まれ。60歳からパソコンを始め、82歳の時にブログ「気がつけば82歳」をハンドルネーム「美海」で始める。阪神間で育った幼少期や戦時中の思い出、日常の思い出などを綴る。2014年に、それまでのブログ内容をまとめた書籍「86歳ブロガーの 毎日がハッピー 毎日が宝物」を出版。
ライタープロフィール
八坂 都子
八坂 都子
育児系雑誌の編集アシスタント、美術系出版社にて編集記者を経て2020年にペロンパ入社。マネー系を中心にカルチャーなど幅広いテーマで記事執筆・コンテンツ制作を行う。

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