作家・柴田勝家さんが民俗学を通じて見る未来。メタバース時代を創る資本とは?

作家・柴田勝家さんが民俗学を通じて見る未来。メタバース時代を創る資本とは?

作家・柴田勝家さんが民俗学を通じて見る未来。メタバース時代を創る資本とは?

人の営みから生まれた風習や信仰は、メタバースの時代を迎えつつある中で、どのように変化していくのでしょう。作家・柴田勝家さんに、民俗学や文化人類学を通して見えてくる未来、未来を創るために大事にしていることについて聞きました。

民俗とデジタルを掛け合わせてストーリーを紡ぐ、作家・柴田勝家

民俗とデジタルを掛け合わせてストーリーを紡ぐ、作家・柴田勝家

「写真を撮られると魂が抜かれる」「お稲荷さんには油揚げを供える」など、私たちの身のまわりには、言い伝えや風習、民間信仰などが数多く存在します。片や現代は、仮想空間上でのアバターを介した交流も珍しくなくなりつつあるデジタル社会。この両極端な世界観を融合させ、その風貌もあいまって話題のミステリー・SF作家、柴田勝家さんにお話を聞きました。

あの有名な戦国武将と同姓同名のペンネームを使い、自らを「ワシ」と称し、大学院では民俗学や文化人類学を学び、民間信仰の伝播と変容を研究していたという柴田さん。小説では、民俗(民間に伝承してきた風俗・習慣)が息づきながらも、メタバースやVRといった先端科学が日常にある近未来を描きます。過去と未来にどのような橋を架けてストーリーを紡ぎ、また、民俗とデジタルが創る世界をどう捉えているのでしょうか。

人の心や習慣が生みだす不思議に惹かれて、民俗学・文化人類学の世界へ

——柴田さんは、大学院で民俗学や文化人類学の研究をされていたそうですね。

柴田:はい。民俗学は自国の庶民に広がる衣食住や風俗、信仰などを調べながら、その国の暮らしや習慣、文化について研究する学問。一方、文化人類学は自国の文化を踏まえ、他の国のことを調べたり、比べたりするような学問です。社会の中の立ち位置を知るのが民俗学、そこから他の文化とのつながりを考えるのが文化人類学といえるでしょう。

その分野に興味を持ったのは、小学生から中学生の頃だったはず。京極夏彦さんの小説にのめり込んだんですよね。世界観に圧倒されました。最も感銘を受けたのは、人の信仰や民族としての営み、風習の要素が織り込まれたうえで、妖怪が現れたり怪奇現象が起こったりしているストーリー展開でした。また、「民俗学」という言葉を知ったのも小説からだったと思います。

特に日本の俗信は好きな分野です。例えば、「烏が鳴くと人が死ぬ」とか「下駄の鼻緒が切れたら不吉」とかというような、今でいう迷信のようなものから、まじない、呪術などですね。そうした類のいわれにとても興味を持ちました。

——大学生の頃には、既に執筆活動をされていたと伺いました。

柴田:大学では文芸部に所属して、初めのころは民俗学とミステリーやホラーを掛け合わせた作品を書いていたんです。やっぱり京極さんの影響が大きかったのだと思います。

今年(2022年)発表した『スーサイドホーム』は原点回帰ともいえる作品かもしれません。不可解な現象がパラレルに展開する構成で、それぞれをつなぐのは「サンリンボー」というキーワードです。

サンリンボーは「三隣亡」と書きます。建築における厄日をさし、この日に家を建てると火事を起こし、隣三軒を焼き滅ぼすとされる俗信です。今でも建築業界では、三隣亡の日は棟上げなどの重要イベントを避ける風習が残っているんです。

人の心や習慣が生みだす不思議に惹かれて、民俗学・文化人類学の世界へ
柴田勝家『スーサイドホーム』(二見書房)

——ミステリーだけでなくSFの要素もふんだんに取り入れられた作品もありますよね。

柴田:そうですね。書きはじめたきっかけは、伊藤計劃(いとう・けいかく)さんの著書です。最初は友達に勧められて。文芸部の間でも「今、伊藤計劃を読まないのはモグリだ」みたいに、ワシのコミュニティでちょっとしたムーブメントが起こったんですね。

ワシの中ではSFというと、海外の古典作品によく見られる「超未来」「宇宙」というイメージがあったのですが、それを伊藤さんは見事に覆してくれました。伊藤さんの作品の舞台ってせいぜい2050年代くらいまで。今の延長線上にある未来は、読み手にとっても想像しやすい世界でした。

民俗学や文化人類学も、過去の人の営みや社会の積み重ねで成り立っているものです。だから、近い未来であれば、それらの学問とうまく融合できるんじゃないかと。それで、2012年にデビュー作となる『ニルヤの島』を書きました。

自分がいなくなってからでも、想像が現実化する日が来たらうれしい

自分がいなくなってからでも、想像が現実化する日が来たらうれしい

——創作において、ベースとなる学問とストーリーはどのようにつなぎ合わせているのでしょう。

柴田:そうですね…興味を持ったモチーフから連想を繰り返して、発展させていく感じでしょうか。連想ゲームみたいな感じですよ(笑)。

例えば、先ほどの「烏が鳴いたら誰かが死ぬ」という俗信でいえば、烏は太陽の神の使いでもある→鳥は、七夕の日に彦星と織姫が会うとき天の川で橋渡しをする(言い伝え)→天の川といえば星や宇宙。そんな感じでどんどん広げていきます。

2020年に発表した『アメリカン・ブッダ』も、「アメリカの話を書きたいなあ…」とはじめに思ってから、次に語感でブッダをつけました。当時、海外ドラマの『アメリカン・ゴッズ』という作品が好きだったので(笑)。そこから実際に仏教が古い段階でアメリカ大陸に渡っていたら、どんな風に解釈されるのか想像していきました。きっとネイティブ・アメリカンが信仰を受け入れて、釈迦のエピソードに登場する動物もアメリカっぽいコヨーテやハクトウワシに変化するかもしれないぞ、って感じで結びつけていきました。

冗談みたいな感じが起点になっていることが多いですが、ワシ自身はこの作業が結構好きなんですよね。大学で研究していたことはもちろん、高校の地歴公民で学んだこととか、RPG(ロールプレイングゲーム)にハマって知り得た戦国武将のこととか。ありとあらゆることが血肉となって、時代や場所を超えた人の共通点をうまく見つけられると、「してやったり」と思うんです。

——作品で登場するデジタル技術や先端科学などの話題は、どのようにキャッチされているのですか。

柴田:ネタ探しというのもありますけど、単純にそういう話題が好きですね。遺伝子工学や生化学の論文、ノーベル賞のパロディとして独創性に富んだ研究や発明に贈られる「イグノーベル賞」などを調べることもあります。iPS細胞の脳への移植や神経を再生させる話とか、眠っている人の脳波から夢を映像化する研究とか、ワクワクしますよ。この技術が広がったらどんな世の中になるだろうと妄想を膨らませるんです。

ワシは、「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」というジュール・ヴェルヌ(19世紀のSF作家)の言葉が好きで、どんなに突飛なことや信じ難いことでも、いつか本当にそうなると考えて創作しています。もし、創作した世界が実現したときに、ワシはそこにいなくても構わない。夢を見ているというか、自分が想像した未来がいつかどこかで形になったらうれしいんです。

とはいえ、ワシ自身が未来を描くとき、そんなに解像度が高いわけではないんです。ビジュアルが脳内に投影されているわけでもなく、概念とか空気のようなものに近い。小説を書くときも、舞台そのものは地図アプリなどを使いながら現実世界を参考にしていて、けれども登場人物の思考回路や繰り広げる会話については、設定した未来社会の雰囲気を想像しながらその人物になりきるイメージです。

——自分がいなくなったその先の未来を創っていく、ある意味で戦国武将のような生き方ですね。柴田さんが描く未来とはどのようなものでしょうか。

柴田:色々ありますが、メタバース的なものが感覚的に近い気がします。自分の創作にも反映されていて、『雲南省スー族におけるVR技術の使用例』では一生涯VRゴーグルをつけて過ごす少数民族の話を、『アメリカン・ブッダ』では脳をコンピューターにつなぐことで、現実社会から離れて意識下の中で生活する世界を書きました。

一説によれば時間は非連続的で、視覚が次の瞬間を認識するコマとコマの間は、人の脳が補っているのだそうです。この真偽は不明ですが、重要なのは、私たちの脳自体はそれだけハイスペックで、想像力に満ちているものではないかということ。メタバースも同様で、私たちの想像力次第でどんな時間も空間も描けるはずです。

それは、既にある場所で何かをするというより、それぞれの好ましい時空間を築きあげ、実体としての人ではなく、アバターとして仮想空間で生きる感じが近いでしょうね。ワシの場合は、既に本名ではなく“柴田勝家”という作家として過ごす時間が長くなっていて、現実社会で既にアバター生活をしているようなものなのですが(笑)。

時代が変容を続けても人の本質は変わらない

時代が変容を続けても人の本質は変わらない

——メタバースやNFT(非代替性トークン)など、デジタルの世界では新しい文化や技術が次々と生まれつつあります。デジタルによって、民俗も変わっていくものなのでしょうか。

柴田:大いにあると思います。世の中にある、ありとあらゆるものがデジタルでつながっていったら、きっと地域に根ざす昔ながらの部分も変わっていくと思います。例えば、地域のお祭りって、伝統的で不変なものの代表ですよね。でも、VRによって御神楽(おかぐら)が離れた場所からも臨場感をともなって見られるようになるし、ドローンがお神輿を担いで、人はコントローラーを握るようになるかもしれない。

信仰の姿だって、確実に変わっていくでしょう。現に数年前に、京都の高台寺に「マインダー」というアンドロイドの観音様が作られたことが話題となりました。マインダーはロボットですから、肢体は機械でできています。そして自ら手を合わせ、般若心経を唱え、表情をわずかに変えながら人々に説法をする。さらに、説法にはプロジェクションマッピングによる演出もあります。

——それは驚きです。

柴田:密教などもデジタルと相性がいいでしょうね。仏像も華やかですし、色彩豊かで幾何学的な曼荼羅(まんだら)や、読経には特有の音階や旋律がありますし、新しい技術が入りやすいと思います。

そもそも、仏教や密教など古くから続く宗教は、布教当時でいえば最先端科学みたいなものだったんです。特に密教を日本に広めた空海は、その象徴だったのではないでしょうか。仏門で修行し、唐に渡って新たな教えを取り入れて、帰国後は自ら書や仏像、曼荼羅などの創作を通じて布教に務めた。そこにはあらゆる新しい知が込められていたわけです。

ですから、人の本質は大きくは変わっていないと思います。知恵や民俗、風俗、文化というのは常に新しいものを取り入れながら、その時代に合わせて徐々に変容しながら受け継がれていくんです。

考えることは未来を創っていく最初の資本

考えることは未来を創っていく最初の資本

——柴田さんはこの先、どのような未来が訪れたらうれしいですか。

柴田:先ほどお話ししたメタバース的な未来像に似ていますが、人それぞれが自己実現できるような世界に発展していって欲しいですね。宇宙に行きたい人は行けばいいし、海の底に行きたい人は行けばいい。人類誰もが自分の思いや理想を叶えて欲しい。そうした世の中になればいいのにって。

ワシ自身は「好きなことをやる!」と腹を決めて毎日を過ごしていますが、世の中がそうかというと、思うように過ごせないことも多いですよね。とても残念なことだし、デジタルや科学によって現状を変えられるなら、うまく使ったほうが良い。ただ、その結果どうなるかは、我々人間の考え方や思想によるところだと思います。

——それは、考え方次第で未来は変わる、ということでしょうか。

柴田:そうですね。一人ひとりがもっと、色んな考えを持っても良いのではと感じます。ワシは独立独歩のところがあって、どちらかというと考えるのが好きだし、どうするかも自分で選択したい。少し立ち止まってでも、進みながら考えるでもいいけど、考えるのだけはやめるべきではないでしょう。

ワシの経験からいえば、留年を繰り返して過ごした高校の6年間や、大学で腰を据えて探究した時間がすごく豊かで、今のワシの土台となっているんですよね。興味のあることに触れ、周りからの刺激で広がり、そしてじっくり考えることで奥行きが生まれました。

常に動き続けなくても構わないけれど、考える時間は持って欲しいです。もし、時間がとれないほど大変な状態なら、立ち止まれるように考えなくてはいけない。考えることは、私たちが未来を創っていく、最初の資本になると信じています。

この人にきいてみた
柴田勝家さん
柴田勝家さん
1987年、東京都生まれ。成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻博士課程前期修了。
在学中の2014年、『ニルヤの島』で第2回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞し、デビュー。2021年、『アメリカン・ブッダ』で第52回星雲賞日本短編部門を受賞。近著は『スーサイドホーム』(二見書房)。戦国武将の柴田勝家を敬愛する。
ライタープロフィール
たなべ やすこ
たなべ やすこ
ライター・編集者。塾講師、学習教材編集、広報誌編集などを経て2016年に独立し、現在に至る。働くこと・学ぶこと・考えることをテーマに、インタビュー記事を中心に執筆。話し手・届け手・読み手の「健やかな生きざま」に、ほんの少しでもお役に立てたら、という気持ちで毎日書いています。管理栄養士所持者ですが、ただの食いしん坊です。

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