「豊かな死生観」が未来への希望?元総務大臣補佐官・太田直樹さんが語る地方の可能性

「豊かな死生観」が未来への希望?元総務大臣補佐官・太田直樹さんが語る地方の可能性

「豊かな死生観」が未来への希望?元総務大臣補佐官・太田直樹さんが語る地方の可能性

少子高齢化や東京への一極集中などにより、課題が山積する地方。しかし地方創生に第一線で関わってきた太田直樹さんは、地方にこそ日本の未来を創造する可能性を感じるといいます。地方の可能性と、その鍵となる「豊かな死生観」について伺いました。

「『豊かな死生観』があってこそ、未来に投資できるんです」

今回は、「未来の地方の可能性」についての取材。なのに太田直樹さんの口から出てきた「死生観」という言葉に、ちょっと驚きました。

太田直樹さんは、日本の地方創生をテクノロジーの分野からリードしてきた一人。ボストンコンサルティンググループの経営メンバーとしてアジアのテクノロジーグループを統括したのち、2015年1月から約3年間、総務大臣補佐官として、地方創生とICT(情報通信技術)/IoT(モノのインターネット)の政策立案・実行を担当しました。

地方創生とICT(情報通信技術)/IoT(モノのインターネット)の政策立案・実行を担当

その後も総務省のアドバイザーや、一般社団法人「Code for Japan」でのシビックテック(市民によるテクノロジー活用)活動の推進、都市集中型ではない未来をつくる「風の谷」構想など、地方に関わる活動に取り組み続けています。

一見結びつかない「未来の地方の可能性」と「死生観」。いったいどのように関係しているのでしょうか。太田さんの真意に迫ります。

【この記事で想像できる未来】

理想:
地方で人間が自然とともに豊かに生きうる選択肢を持つことができている。

実現:
挑戦する地方都市を「生きたラボ」として、未来をプロトタイピング(試作)する。

もしかしたらの未来:
各地で、死生観についての対話が生まれている。

プロフィール

太田直樹(おおた・なおき)さん
株式会社 New Stories 代表。一般社団法人 コード・フォー・ジャパン 理事。ボストンコンサルティンググループでは、 シニアパートナーとしてテクノロジーに関する専門性を活かし、情報通信企業を中心にプロジェクトを推進。テクノロジーグループのアジア統括も務める。その後、2015年に総務大臣補佐官に就任し、IoT、AI、ビッグデータの政策を立案する一方で、中央と地方の様々な分断にも問題意識が移行。現在は、セクターを越えた連携やシビックテックの推進を通じて、コミュニティ主導のまちづくりや地域に開かれた教育など、地方の本当の豊かさを創る仕組み作りの支援をしている。東京大学文学部卒。ロンドン大学経営学修士。

挑戦する地方都市は「生きたラボ」

――太田さんはプロフィールで「挑戦する地方都市を『生きたラボ』として未来をプロトタイピング(試作)する」と書かれていますね。「生きたラボ」とはどういうことなのでしょう?

太田:地方って、遅れているイメージがあるかもしれません。僕もそう思っていたのですが、実際に行ってみると、場所によっては革新的なことを素早く仕掛けることができ、国家規模の変革をリードすることがあるのを知って驚きました。その可能性に魅了されてしまって、僕は地方を実験室にみたてて、未来を試作するような取り組みをしています。

――具体的にはどんな取り組みを?

太田:いろいろ活動しているんですが、ひとつは「スマートシティ化」。IoTやAI(人工知能)、ビッグデータなどを活用してより良い生活を実現するという活動を、福島県会津若松市と兵庫県豊岡市で取り組んでいます。

もうひとつは、「シビックテック」。これはシビック(Civic=市民)とテック(Tech=テクノロジー)をかけ合わせた造語で、市民自身がテクノロジーを活用して、行政が提供するサービスの課題を解決する取り組みです。

具体的には、住民がテクノロジーを用いて草の根的に地域課題を解決することをめざす一般社団法人「Code for Japan」の理事をやっています。そのほか、北海道から沖縄まで、日本の各地にある魅力的な学校に他地域の高校生が留学できる「地域みらい留学」という活動にも関わっています。

「Code for Japan」の理事

――『シン・ニホン』の著者である安宅和人さんらが取り組む「風の谷」構想にも関わっていますね。

太田:ええ。都市ではなく地方で、技術の力を使って自然とともに豊かに、人間らしく暮らすことができる場所をつくる「風の谷」構想には、立ち上げから関わっています。

ここ何年か、大型の台風が続いていますが、過疎地域だと被災して崩れた道路を直せないところもある。人口が減ることで税収も減って、インフラを維持することが難しくなっているんです。

このままでは、極端に人口の集中した大都市にしか人が暮らせなくなる未来が予想されます。そうならないために、どこかほかの地域に依存しない自律分散型インフラのあり方を検討するなど、100年以上先まで見据えて地方の可能性を探る活動をしています。

地方で出会った、未来を創るエネルギー

――太田さんはもともと地方に関心があったのでしょうか?

太田:いえ、そんなことないんです。僕は奈良のとある村の出身で、自然のなかで育ちましたけど、自然が好きというわけでもない。むしろ、新しい価値観に触れられる都市が好きだったんです。

東京の大学に入って以降、最初の会社が外資系だったこともあって海外で仕事をすることが多かった一方で、地方に行ったことはほぼゼロでした。

――では、なにがきっかけで地方と関わるように?

太田:2015年1月から総務大臣補佐官として、地方創生のための政策立案や実行に従事することになったんです。それから約3年間、1週間に1地域は訪れるようなペースでずっと日本各地を移動して、合計100ヵ所くらいまわる経験をしました。

地方創生は80年代の終わりから国主導でやってきたのですが、僕が日本各地をまわってみると、うまくいっていない状況が見えてきました。地域活性化のための施策は東京のコンサルティング企業に丸投げして、ほかの地域で使われたものの表紙だけ変えたような資料を渡されている……というような。

ほかの地域で使われたものの表紙だけ変えたような資料を渡されている

一方、とても面白い地域もあったんです。衝撃を受けたのが、2016年に行った会津若松。戊辰戦争で明治新政府軍と戦った歴史が今に生きているのか、「中央政府が倒れても、その代わりになるシステムを俺たちが考えるんだ」なんてことを、政府で仕事をしている僕に言う人たちがいたんですよ。

会津若松のような、厳しい状況からでもなにか新しいものを作っていくんだという強いエネルギーが存在する地域と出会ったことで、「これはむしろ地方でこそ、未来の可能性を試して都市をリードしていくことができるんじゃないか」と思うようになったんです。

地方が文化の発信源になる

――地方が都市をリードする、ということがまだイメージできないのですが。

太田:多くの人を引きつける求心力は、これまでは東京のような都市にあった。求心力を分解すると、経済と、もうひとつは文化だと思うんです。そして、経済成長をひたすら追い求める時代は終わって、これからは文化がより重要になってくる。そんななかで近年、地方が文化の発信源になることを示すような事例が生まれているんです。

――例えば、どんな事例が?

太田:象徴的なのは、2019年、世界的に活躍する劇作家の平田オリザさんが東京から兵庫県豊岡市に移住したことですね。自ら主宰する劇団「青年団」を兵庫県豊岡市に移転して、豊岡で世界最大の国際演劇祭の実現をめざしている。東京出身のオリザさんも、都市ではなく地方に、グローバルに文化を発信する場所としての可能性を見出したんだと思います。

ほかに僕が注目しているのは、1900年(明治33年)の創業以来、120年にわたって仏壇・仏具・位牌を作り続けている「アルテマイスター」という会津若松にある会社です。

現代って、家に仏壇を置かないじゃないですか。そこでアルテマイスターは、工芸家やデザイナーと一緒に、「現代の住環境に合い、人の心に寄り添える祈りのかたち」を創り出すことに取り組んだ。そして生まれたのが、今の住環境にあった「工房厨子(ずし)」という商品です。

「厨子」は仏教で大切なものを納める箱のことなのですが、これがとても素敵なデザインで、必ずしも宗教に縛られないので、海外でも人気になっています。会社には、美大を出た若者が全国から入社するそうです。

――若者たちが、地方で新しい祈りの文化を作っているのですね。

太田:そうなんです。あとは、熊本県阿蘇郡南小国町で採れる小国杉の間伐材を活用した商品を展開している「FIL(フィル)」というインテリア・ライフスタイルブランドがあります。ここもサイトを見てもらうと分かると思うんですけど、衝撃的にかっこいいでしょう?

FIL公式サイトより
FIL公式サイトより
FILは、地場の製材メーカーの3代目となった代表が、小国杉の建築材以外での活用と南小国の活性化のために社内ベンチャーを立ち上げ、作ったブランド。もともと市場として海外を視野に入れているのだと思います。ここでも若い方が多く活躍しているらしい。

――「海外展開するなら大都市で」「文化を発信するなら大都市で」というイメージがくつがえりそうな取り組みですね。

太田:かつては「たくさん稼がなければならない」「そのためには東京で活動しなければならない」といったような、「ねばならない」という重力があったと思うんです。そしてその重力の中心は、東京のような大都市にあった。でも今日ご紹介したように、今はそんな重力圏を突破して、地方で文化を創造する若者が増えています。そんな若者がいる地域に、未来の可能性を感じますね。

豊かな死生観があってこそ、未来に投資できる

豊かな死生観があってこそ、未来に投資できる
2000年代にはいって研究が一気に進んだ「ウェルビーイング」を暮らしに活かすワークショップ

――若者が文化を創造する地域と、そうでない地域との違いはどこにあるのでしょうか?

太田:大きな違いは、若者にバトンタッチしている上の世代がいるか、ということです。言い換えれば、未来を創造する若者に対して、機会や権限を与えることができるかどうか。

高度成長期をつくった団塊の世代が功労者であるのは確かなのですが、過去の成功にしがみついて、なかなかバトンを下の世代に渡さない。象徴的なデータは、中小企業の経営者の平均年齢です。1995年は47歳でした。20年後の2015年は何歳だと思いますか。なんと、66歳です。こうしたことが、一次産業や政治など、いろんなところで起こっていて、特に地方では顕著です。

団塊世代は、実存主義の洗礼を受けた世代で、いろんな調査で「死んだら終わり」という死生観が特徴と言われています。でも、次の世代に思いを馳せて、機会や権限を与えないと、地方の可能性がしぼんでいく。そうならないために大事なのが、「豊かな死生観」だと思っています。

――「豊かな死生観」というのは?

太田:自分が生きている現在だけでなく、生まれる以前の過去、そして死んでしまった後の未来のことまで想像して、目の前の社会や人生と向き合うというということです。

若者にバトンタッチするということは、未来に投資すること。その投資の成果が出るのは、もしかしたら100年後、自分が死んだあとかもしれません。

自分や、自分の世代の成功にしか関心がないと、自分がいなくなった後の未来に投資しようという気にならないですよね。そういう方は、先祖から受けとったバトンを、自分が高齢で動けなくなるまで握りしめてはなさない。元気に活動できているときは良いですが、動けなくなったときに初めて、荒れ果てて誰も住まなくなった地元の景色を見て、「自分はなにをやってきたんだろう」と、現実を突きつけられると思うんです。

そうならないためにも、自分が死んだ後の世代のことまで自分ごとのように考える。そんな「豊かな死生観」が、若者へのバトンタッチが生まれている地域にはあるように思います。

大臣補佐官時代は、8日に1ヵ所のペースで全国をまわっていた太田さん
大臣補佐官時代は、8日に1ヵ所のペースで全国をまわっていた太田さん

――「豊かな死生観」は、どのようにして育まれるのでしょう?

太田:死生観について対話することが鍵になるのではないか、と考えています。

僕が注目しているのは、「コミュニティナース」という活動。看護師が病院や介護施設ではなく、普段から地域のなかにいて、住民と触れ合いながら心と体の健康を促進する活動です。

医療や看護が、病院や介護施設という閉じられた場ではなく身近にあることで、普段から生や死と触れる機会が増え、「豊かな死生観」が地域で形作られることにつながる。それが巡りめぐって、若者にバトンを渡すことにつながり、地域に活力を与えるんじゃないかと考えています。

まだ「豊かな死生観」を育む実践について、僕のなかでも整理できているわけではないのですが、実際に地方で死生観について対話する機会も今後作っていけたら、と考えています。

――今回の取材のテーマである「未来の地方の可能性」ということを考えると、社会や環境に目が行きがちだと思いますが、実は「豊かな死生観」という“人の内面”も重要なのですね。

太田:そう思います。コミュニティナースのような活動や死生観についての対話を通して、地域で「豊かな死生観」が育まれる。その結果、未来への投資が行われる……そんな地域を全国で増やしていきたいですね。

ライタープロフィール
山中康司
山中康司
生き方編集者。生き方をテーマに、編集、執筆、ワークショップデザイン、キャリアカウンセリングに取り組む。関心領域はキャリア、ライフスタイル、ソーシャル、ローカル。関わっている取り組みは、「グリーンズ求人」「Proff Magazine」など。

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