大間を“世界的田舎”へ。マグ女・島康子さんが仕掛ける、シリアスにならない町おこし

大間を“世界的田舎”へ。マグ女・島康子さんが仕掛ける、シリアスにならない町おこし

大間を“世界的田舎”へ。マグ女・島康子さんが仕掛ける、シリアスにならない町おこし

津軽海峡圏のディープな魅力を深掘りし、発信する団体「津軽海峡マグロ女子会」。その発起人の一人である島康子さんは、青森県大間町で生まれ育ち、東京、仙台での生活を経て33歳でUターン。以降、20年にわたり“田舎の面白さ”を発信し続けています。

北海道と青森県を隔てる津軽海峡。日本有数の本マグロ(クロマグロ)の漁場として知られ、特に青森県大間町で水揚げされる「大間のマグロ」は、最高級品としてブランド化されています。

「津軽海峡マグロ女子会」は、そんな地元の名産にちなみ、“マグロのようにパワフルでチャレンジし続ける女性たち”で組織された町おこしグループ。その旗揚げメンバーの一人が、島康子さんです。自身も大間の魅力を発信する会社「Yプロジェクト(株)」を立ち上げ、観光ツアーの企画・運営などを行っています。

現役マグロ漁師の漁船に乗り込み、「大間マグロの一本釣り漁」を見学するツアー。
“奇食”や“奇岩”など、下北半島の「なんぢゃこりゃ」を探検するツアー。

島さんが仕掛けるプロジェクトはどこか型破りながら、地域のディープな魅力を体感できるものばかり。コロナ禍で移動が制限されてからは「妄想旅行」と称し、“旅行者の分身”として現地を旅する様子をライブ配信するなど、未曾有の苦境さえもアイデアとノリと勢いで押し切ろうとしています。

自身を“まちおこしゲリラ”と称し、自ら楽しみながら地元を盛り上げている島さん。活動に対する思いや田舎の面白さ、さらには町おこしの未来について伺いました。

【この記事で想像できる未来】

理想:
地元に貢献しながらお金を生む仕組みを作り、その活動を若者に受け継ぐ

実現:
町おこしに情熱を持つ人々をつなぎ、津軽海峡エリアの魅力を深掘りした観光プログラムを展開

もしかしたらの未来:
田舎ならではの魅力を発信し続け、大間を地球の真裏からも若者が遊びにくる町へ

プロフィール

島康子(しまやすこ)さん
青森県大間町出身。大学卒業後、東京、仙台での生活を経て1998年春、17年ぶりにUターン。北海道新幹線開業をきっかけに、2014年3月、青森と北海道道南に暮らす志のある女性たちで「津軽海峡マグロ女子会」を結成し、イベントや着地型ツアー商品の企画開発・実行。故郷・大間の地域振興はもとより、津軽海峡圏全体の観光振興に取り組んでいる。

パワフルに泳ぎ続ける女性が集まる「マグロ女子会」

――島さんは大間町や下北半島の町おこしに関わる様々なプロジェクトに携わっていますが、なかでも大きな柱の一つが「津軽海峡マグロ女子会」ではないかと思います。改めて、どんな取り組みなのかお聞かせいただけますか?

島:2014年に発足した、津軽海峡近隣(大間町や函館市などの18市町村)の女性を中心とした町おこしプロジェクトです。メンバーは現在90名ほどで、旅館の女将やカフェのオーナー、旅行会社のプランナー、観光案内スタッフなどのほか、観光業に関係ない職種や主婦もいます。キャラクターもバラバラで、粒ぞろい。そんな女性たちが、各々の町の魅力を同時多発的に発信したり、時には群れになってツアーやイベントを仕掛けています。

――地元を盛り上げたい有志の集まりという感じですか?

島:はい。基本的には営利が絡まない無償の活動なので、半ば趣味のような形で参加してくれている人も多いですね。だからこそ、互いの立場や利害関係に縛られず、シンプルに町を元気にするための議論ができるのだと思います。

ちなみに、マグロ女子会(以下、マグ女)は議論だけで終わらず、実際に動くことをモットーにしています。マグロみたいに、ひたすら泳ぎ続けるパワフルな人たちの集まりですね。

地元を盛り上げたい有志の集まり

――“マグ女”が企画するツアーやイベントは、どんな内容なのでしょうか?

島:毎年秋に「マグ女のセイカン博覧会(外部サイト)」と称し、3ヵ月にわたって18市町村でランダムに200回近くのイベントや体験プログラムを繰り返す博覧会を行っています。2020年は新型コロナウイルスの影響で期間と規模をやや縮小しましたが、ソーシャル・ディスタンシングを万全にしつつ、気持ちの面ではこれまで以上にどっぷり「密」でいきたいですね。

――今回の「セイカン博覧会」は19のプログラムが用意されていますが、タイトルをざっと眺めるだけで面白そうな雰囲気が伝わってきますね。「青森といえばりんごでしょ!リンゴ狩りタクシー」「携帯もつながらないヒバの森で、蘇りの森林ウォーク」「貸切路面電車で巡る函館マニアックツアー」などが気になります。

島:ほかにも、例えば松前町のプログラムでは、かつて松前藩の藩主が食べていた料理を再現して旅館で提供したり、普段は非公開になっているお寺の内部を住職さんに案内してもらうツアーなどを行っています。また、今回は初の試みとしてオンラインプログラムも用意しました。「元アテンダントマグ女が青森県の鉄道旅を語る! オンライントークショー」など4つです。

――普通の旅行会社ではあまり体験できないマニアックなプログラムも多いような気がします。

島:マグ女は地元愛にあふれる生活者なので、観光業にとどまらない自由なアイデアが出るのかもしれません。とにかく、津軽海峡周辺ってそれぞれの町にキラキラ輝く良さがあって、宝石箱みたいなエリアなんです。ですからプログラムに参加してもらいつつ、マグロが回遊するように津軽海峡全体を巡ってほしいですね。そして、一つひとつの町の輝きを味わって欲しいです。

ヒバの森ウォーク
▲かつて森林鉄道が行き来していた軌道跡をたどるヒバの森ウォーク 詳細は「マグ女のセイカン博覧会」ウェブサイトで

33歳でUターンした田舎は面白かった

――島さんは大間町で生まれ育ったということですが、大学進学で上京し、そのまま東京で就職されています。もともと町おこしに関心があったわけではないんですよね?

島:そうですね。むしろ、思春期の頃は地元をあまりよく思っていませんでした。自分はなんでこんな田舎に生まれちゃったんだろう。都会の子供になりたかったって。中学生でその気持ちがマックスになり、高校は少しでも都会へ近づこうと青森市内の学校へ、大学進学で東京へ行きました。今思えば、“暗黒の時代”でしたね。

――暗黒? 地元を嫌っていたことに対してそう思うんですか?

島:はい。とにかく都会は何もかも素晴らしいと思っていて、「自分は田舎に生まれたけど、ここの人間じゃない!」みたいに振る舞っていたので。消し去りたい過去ですね……。

――では、地元を離れて初めて、その良さに気づいたと。

島:いえ、じつは東京で就職してからもしばらくは気づけなかったですね。転機は東京から仙台へ転勤になったこと。そこでUターンして会社を継ぎ、地元に貢献している経営者の方々と出会い、「ふるさとで仕事をする」という意識が少しずつ芽生えていきました。同じタイミングで親からも「そろそろ(地元に)帰ってくる時期じゃねか?」と言われていましたし、年齢的にもちょうど30歳くらいで、キャリアの踊り場に差し掛かっていた。いろんなことが重なったんですね。それで1998年に地元に戻り、親が営む青森ヒバの製材工場を継がせてもらいました。

――それまで東京や仙台で暮らしていたぶん、田舎の生活を退屈に感じることはなかったですか?

島:それが、全く逆でしたね。「田舎、なんて面白いんだ……!」って思いました。まず、田舎の生活は物々交換が基本。じいちゃんが獲ってきた魚とか、ばあちゃんの山菜とか、毎日誰かが何か持ってきてくれる。小さい頃もそれは日常だったけど、すっかり忘れてたし、そもそも当時は「魚や山菜よりハンバーグ!」って感じだったからありがたみも分からなかった。今は酒も飲むから魚の煮付けとか、殻付きのウニとか最高じゃないですか。

――最高ですね。羨ましい……!

島:そういう食の豊かさとか、物々交換が成立する距離の近さとか、人と人の生活がつながってる感じとか。さらには地元の言葉ですらも、久しぶりに聞くと新鮮でした。こっちは標準語に慣れ切ってるから、改めて方言を浴びるとそのインパクトに気づく。何もかもがあまりにも面白かったですね。町はまるで変わっていなかったけど、自分の物差しが変わったことでものすごく魅力的に感じられるようになった。

次第に、「この面白さを都会の人たちに伝えたい」という気持ちが出てきて、自分で「ひみつの本州最北端」というウェブサイトを作って発信するようになったんです。

“ゲリラ”から始まった町おこし

――ウェブサイトを作った段階では「町おこし」というよりも、個人的に地元の面白さを伝えたいという思いが強かったのでしょうか?

島:そうですね。あとは、「田舎ってすごいんだよ!」っていうのを分かって欲しいという気持ちも、心のどこかにあったと思います。当時は田舎へ戻ることに対して、“都落ち”とか“負け”みたいなイメージを持たれることもあったので、余計に「そうじゃない。田舎はめっちゃ面白いんだ!」っていうのを見せつけたいって。

――当時はどんなことを発信していましたか?

島:方言講座とか、地元の人を勝手に取材したりとか、田舎の生活を面白がっている様子を日記みたいに紹介したりとか、そんな感じ。そうやって面白ネタの発信を初めて3年目くらいの頃に、大間町がNHK連続テレビ小説の舞台になったんですよ。これは何か面白いことをやるチャンスだ!と思い、有志を募って“まちおこしゲリラ活動”を始めました。

――そこが、島さんの町おこしの原点になるわけですね。ちなみに“まちおこしゲリラ”って、どんなことをするんでしょうか?

島:最初にやったのは、フェリーで函館から大間にやってくる観光客を、漁師からもらった古い「大漁旗」を振りながら出迎える活動。誰にも頼まれてないのに勝手に港に集まって、でっかい声で「よーぐ来たのー!」って。この歓迎スタイルはそこから20年続いていて、今では地元の高校生も参加してくれています。

▲まるで大スターでもやってきたかのような歓待ぶり
▲まるで大スターでもやってきたかのような歓待ぶり

――それはすごいですね。ゲリラから始まったものが、文化として受け継がれている。こうした、活動が後の“マグ女”や“Yプロジェクト”のような町おこしにもつながっていったわけですか?

島:そうですね。ただ、じつは今も根っこは変わってないんですよ。便宜上「町おこし」って言葉は使ってますけど、基本は私たち自身が暮らしや町の資源を面白がって、それを発信しているだけ。自分らがまず踊り出せば、それを面白いと思ってくれる人たちが輪の中に入ってきてくれて、みんなで踊るようになる。マグ女もそうやって立ち上がり、広がっていきました。

――地元を盛り上げようと躍起になるのではなく、自らが楽しく踊り、結果的に地域が活性化すればいいと。

島:順番的にはそうですね。町おこしに一生懸命にというか、シリアスになりすぎると、自分自身が楽しむ気持ちを忘れがちになります。だから、自分をたまに振り返ってみて、原点に戻るように意識していますね。

――シリアスになりすぎない、というのは島さんの活動に通底するテーマのように思えます。ツアーなどの企画や発信の仕方も、どこか肩の力が抜けたもの、ゆるいものが多い。

島:自分が楽しんでいないと、仲間が増えないんですよね。町おこしや町づくりをしている人が辛そうにしていると、若い人も関わりたくないなって思っちゃうじゃないですか。まあ、実際は大変な部分もあるけど、マグ女みたいに一緒に泳ぐ仲間がいるから、必死ながらも楽しめているのだと思います。

マグロ一筋テーシャッツ
▲2002年に軽いノリで作った「マグロ一筋テーシャッツ」は、まさかの大ヒット。全国から注文が殺到する人気商品となった
「オーマの休日」ポスター
▲映画『ローマの休日』をオマージュした「オーマの休日」ポスターは2003年の作品。高知の観光キャンペーン「リョーマの休日」や「グンマの休日」などよりも早く、世の中をざわつかせた

地球の真裏からも来てもらえるような大間にしたい

――今後、“マグ女”や“Yプロジェクト”の活動をどのように発展させていきたいですか?

島:発展というよりも、私自身が今のようなペースで泳げなくなる前に、若い世代へ受け継いでいけたらと思っています。そのためにはボランティアではなく、田舎でもちゃんと食っていけるような仕事にしたい。若者たちが自分自身で面白いと思うことをして、それが地元のためになり、なおかつ生活できるようになればいいなと考えています。

一番分かりやすいのは、Yプロジェクトのような“地域限定の旅行会社”ですね。地元に特化した観光ツアーを組むことで、地元の旅館や飲食店をはじめ関わる人たちの利益になり、来てくれた人たちにも喜んでもらえる。まずは、これをなんとか軌道に乗せたいです。

大間マグロ一本釣り漁ウォッチングツアー
▲人気の「大間マグロ一本釣り漁ウォッチングツアー」。地元漁師との関係性があるからこそ可能な企画だ

――若い世代は島さんの活動をどう見ているのでしょうか? 受け継いでくれそうな若者はいますか?

島:そうですね。10年くらい前に、地元の大間高校の生徒たちが「まちおこしゲリラの仲間になりたい」と言ってくれて、そこから「めんちょこ活動部」っていう大間を活性化させる部活動が立ち上がったんですよ。“めんちょこ”ってのは、目のなかに入れても痛くないっていう意味で“かわいいの最上級”です。非公式ですが顧問の先生もついて、町のイベントに参加して盛りあげる活動なんかをしています。

――それは頼もしいですね。

島:ほかにも、寺の息子が大間にUターンしてきて“お寺フェス”を始めたりしています。都会にいる時に私の活動のことを知って、自分も地元に戻って何かやれるかもと思ってくれたみたいですね。なので、最近は私らだけでなく、私の子供にあたるくらいの世代も自主的に“やらかし始めた”のがとても嬉しいんです。

――では、島さんご自身が今後やってみたいことはありますか?

島:廃校になった小学校を使って、おもちゃ美術館みたいなものを作れたら良いですね。リタイア後は私がそこの運営者になって、集まってくる地元の子供たちを“まちおこしゲリラ”に育てる(笑)。

――素晴らしい夢ですね。最後に、島さんが理想とする田舎のあり方について教えていただけますか?

島:私が理想とする田舎のイメージは、イタリアやフランスといった“ヨーロッパの田舎”なんですよね。一つひとつの田舎が個性を大事にしていて、そこに暮らす人たちも誇りを持っている。こんな生活どうですか? 良いでしょう?って。

そうなれば、大間のようなアクセスの悪い田舎にも、世界中から人が来てくれると思うんです。最終的には、地球の真裏から大間へ若者が遊びにくるような、魅力的な田舎になったら最高ですよね。

ライタープロフィール
榎並 紀行
榎並 紀行
編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。
ウェブサイト:50歳までにしたい100のコト(外部サイト)

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