ドリブルデザイナー岡部将和が語る未来を想像することで分かる今

ドリブルデザイナー岡部将和が語る未来を想像することで分かる今

ドリブルデザイナー岡部将和が語る未来を想像することで分かる今

ドリブルデザイナーという今までになかった地位を確立した岡部将和さんが見据える「未来」と、将来の夢とは?目標から考える逆算思考の大切さについても教えてもらった。

「ドリブルデザイナー」という肩書きで、自らと同じように幸せに生きる人を増やそうとしているのが岡部将和だ。

「選手一人ひとりの個性に合わせて、サッカーのドリブルで抜けるようにデザインする仕事」

岡部は自身の仕事をそう定義する。

彼がこの職業を作り出したから、同業者はいない。ナンバーワンを巡る争いにわずらわされることもなく、オンリーワンの仕事に力を注いでいる。確かに、最近のサッカー界の指導は細分化しており、ドリブルを教える仕事を専門にする、ドリブルコーチが将来的に誕生する可能性はある。しかし、岡部のようなドリブルデザイナーは今後も出てこないかもしれない。

その仕事の独自性に触れるまえに、彼のキャリアを簡単に紹介しよう。

サッカーの先を見据える岡部将和

横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の中学の部にあたるジュニアユース出身で、桐蔭横浜大学時代にはキャプテンとして神奈川県1部リーグで優勝した。プロサッカー選手にはなれなかったものの、フットサルのFリーグに所属するバルドラール浦安や湘南ベルマーレで活躍。2010年にフットサル選手を引退した。そこからは、現役時代から試行錯誤をしながら、取り組んでいたドリブルをテーマに現在の職業を作り上げた。ドリブルデザイナーとして、ロナウジーニョやジーコ、本田圭佑といったサッカー界のレジェンドたちともコラボレーションを果たしてきたという。

サッカーのドリブルを扱っているのだから、ともすると、岡部はマニアのように狭く、深く考えている人だと想像する人もいるかもしれない。でも、実際はその逆だ。むしろ、広い視点にたって、考えている。

「今は、サッカーで心が動く人間が16億人いるといわれています。僕のなかにある『面白いな』とか『素晴らしいな』と思っていることを伝えたいから、サッカーというツールのなかの、ドリブルという僕の好きなものを使っています。だから、サッカーに骨をうずめて人生を終わりたいというわけではないんですよ」

だから、岡部の指導は既存の枠組にはまらないし、日本のスポーツ界に残る悪しき伝統とは一線を画す。

頭ごなしに何かを「必死にやれ」と根性論を押しつけることもなく、自分を押し殺してまでチームメイトのために働くように求めることもない。

では、どんな指導をしているのだろうか。

将来はプロサッカー選手になりたいという夢を持つサッカー少年が、自らのもとをたずねてきたとする。すると、岡部はまず、こう問いかける。

「プロサッカー選手になることが夢なのかな? それともサッカー選手になった後にも、目標があるのかな?」

多くの子供たちは少し考えてから、こんな答えを返してくる。「日本代表に選ばれたい」とか、ヨーロッパの名門である「バルセロナの選手になりたい」といったものだ。

プロになった先にある目標や夢まできちんと想像することが大切と語る
プロになった先にある目標や夢まできちんと想像することが大切と語る

このやり取りに、一つ目のポイントがある。

この世のなかには、プロサッカー選手になりたいと考えている子供はたくさんいる。でも、プロになった後にどんなことを成し遂げたいのかを描けている子は少ない。

その結果、プロになっただけで満足してしまったり、そこから先の目標を失ってしまう者も少なくない。なかには、プロになったものの、1試合も出られないままに引退を余儀なくされる選手もいる。

さすがに、試合に出られないまま現役を終える姿を想像していた子はいないはずだ。でも、プロになって何を成し遂げたいのか、どんな活躍をしたいのかまできちんと考えていなければ、そうなってしまう可能性は高い。

プロになったことで成長を止めてしまうケースはその子に責任があるというより、その子が指導者から適切な教育を受けてきていなかったともいえる。

一方で、岡部はそんな指導はしない。プロになった先にある目標や夢まできちんと想像するように仕向けていく。

目標を達成するのにふさわしい「思考法」の指導者

子供たちに目標や夢についてしっかり考えさせたうえで、岡部は問いかける。

「例えば高校を卒業してプロになる。それまでの間に、あと何回の練習ができると思う?」

ここに二つ目のポイントがある。

例えば、中学3年生の子が4月の頭にその質問をなげかけられて、自らの頭で考えたとする。1週間あたり5回練習をすると仮定すると、だいたい年間で250回くらいになる。高校3年の頭にはスカウトが獲得するかどうかを判断すると仮定すると、中学3年、高校1年、高校2年の計3年間で合計750回の練習の機会がある。

そうやって、未来への道筋を順番に考えていくと、子供たちも気づくことになる。あと750回の練習で、自分の人生や未来が決まる可能性が高いのだ、と。そうなると彼らの目の色は変わるし、1回の練習を大切にしようという姿勢も見られるようになる。

つまり、岡部は一方的な指示をするのではなく、物事をどのように考えれば良いのかを教えているのだ。夢や目標を達成するのにふさわしい「思考法」の指導者と言い換えられるのかもしれない。

岡部が実践しているのは、腕立て伏せやスクワットの練習を何回やるのかを指示したり、練習に全力で臨むように恐怖心を覚えるような指導をするよりもはるかに高度なものだ。

そして、そんな指導法は子供たちにとっても大きな意味がある。

仮に、サッカー選手になるための正解があるとする。それを教えたところで、その子がサッカー選手にならない(なれない)場合には、教えたものは無意味なものとなってしまう。

岡部のスタイルはそれらとは一線を画する。夢や目標を具体的に設定するためのアドバイスから、そのために何を、どのくらいの熱量でやるのかを考える方法まで教えてあげるのだ。それらを身につけられれば、将来にサッカーとは別の道に進もうとも、岡部に教わったものを色々な分野に応用できるのだ。

逆算して行動できるようになった小学生

だから、だろう。岡部の元で学んだ子供たちのなかで、ドリブルを上手にできるようになった子はたくさんいるのだが、それ以外に、驚くような行動に出る子もいる。

例えば、ある小学生の男の子が、中学ではなく、高校の学校説明会に行ったというケースがある。岡部の言葉をヒントにあれこれと考えていった結果、自分の行きたい高校が見つかった。そして、そこに入るためには何が必要なのかを知りたいと考えたからだ。その子が最終的にプロサッカー選手になるかどうかは分からなくとも、小さいころからそのように逆算して考えていく力が身につけば、どんな職業に就いたとしてもプラスに働くだろう。

「私の方こそ、岡部さんに勉強させてもらいました」

ある子の母親にそう言われたこともある。

子供たちが学ぶ対象は指導者だけではなくて、親も当てはまる。岡部はそう考えるからこそ、子供たちの親にも呼びかける。

「僕はドリブルを通して、チャレンジする姿勢をお子さんには伝えています。みなさんもドリブルを教えることはできないかもしれませんが、何かにチャレンジする姿をお子さんに見せることはできるのではないですか?」

実際に、生徒の親からは「我が子だけではなく、私にとっても大切な学びの場となりました」と感謝されたこともある。

実際に、生徒の親からは「我が子だけではなく、私にとっても大切な学びの場となりました」と感謝されたこともある。

岡部はドリブルの細かい技術やテクニックを教えられるし、実際にそれらを子供たちに伝えているのだが、本当の目的はそのような表面的なところにはない。

根本にあるのはチャレンジする心を伝えることであり、多くの人が幸せになるように行動しているのだ。

岡部が先のことまで考えて指導するのにはもちろん、理由がある。それは子供のころから、常に自分の将来のことを考えて、行動してきたからだ。では、なぜそれができるのか。

大きな理由の一つが、将棋を指しながら学んだことがあるから。岡部の曾祖父は棋士だった。その影響もあり、幼い頃から祖父と将棋をさすことが日課だった。詰め将棋に興じることもあった。それが日常だったから、将棋以外の分野でも二手先、三手先を考えることがあたり前となった。

ほかにも、影響を受けたことがある。子供の頃の岡部は病弱で、入退院を繰り返していた。生死にかかわるような重い病気にかかっていたわけではないが、病院で過ごす間に、人間の死や、全ての物事に終わりがあることを自覚していった。それが先のことまで見すえたうえで、考えて、行動する岡部を育んでくれたのだ。

失敗は「成功のかけら」

そんな岡部が大切にしている考えがある。それが「成功のかけら」だ。

子供たちがドリブルを上達していく過程で、練習や試合でたくさんの失敗をしている。ただ、それはドリブルで相手選手を抜こうとしたから生まれた失敗だ。そんな失敗をした子供たちにはこう呼びかける。

「『成功のかけら』をしっかりと拾ってみよう!」

その言葉が含む意味について、岡部はこう解説する。

「これからの時代には、機械が人間の住むところにどんどん入ってくると思います。そんな機械の良さは正確性とスピードで、ほとんど失敗しないものです。では、人間の良さは何でしょうか? 失敗したことにも美しさを見出して、それを正しい形に直していくことだと思います。だから、失敗の数は増やしたほうがいいくらいで。そのかけらを集めていくことが、成功につながります」

岡部には「99%抜けるドリブル理論」があり、それを実践するために「軸足バック」や「ささくれタッチ」など様々なテクニックを用意している。そして、それを子供たちには日々教えている。

ただ、その先にあるのは、みんなが死ぬまで幸せな毎日を送れるような生き方を伝えることなのだ。

そんな岡部にとって、将来の夢は大きくわけると3つある。

岡部将和が描く夢

1.バロンドールを獲得するサッカー選手のサポートをすること

「バロンドール」というのはサッカーの世界の年間最優秀に贈られる賞のことだ。自らの指導によって、個人のサッカー選手が頂点を極めることがゴールの一つである。

2.ドリブルクリニックを世界の196の国と地域で行なうこと

196というのは、世界でもっとも人気のあるサッカーを統括するFIFAに加盟する国と地域の数である。そのために岡部は自身の英語力に磨きをかけるプランも立てているし、実際に自らの理論を英語で伝えるための動画も既に用意してある。

3.「XRプロジェクト」を進めること

「XR」というのは、近年になって発達してきたVRだけではなく、現実の世界のなかにバーチャルな視覚情報を取り入れるARや、そのARの世界を色々な角度から感じたりするMR……これらの総称を指す。つまり、目の前に岡部がいなくても、自宅のリビングルームで岡部の指導を受けて、ドリブルのテクニックや考え方を学べるようにする。それが岡部の目標である。岡部の身体は一つしかないが、XRを使えれば自らの指導を世界中で、同時に行えるのだ。

XRを使えれば自らの指導を世界中で、同時に行えるのだ

「未来は、今を生きた結果が表われたもの」

岡部はドリブルデザイナーとして、そうした夢と目標をかかげながら、その実現のためにどのような取り組みをすれば良いのかを逆算して考えながら、毎日を過ごしている。

実は、新型コロナウイルスの世界的な蔓延により、岡部は最近になってプランの変更を余儀なくされた。近いうちにヨーロッパに移住しようと考えていたが、コロナの影響で経済は縮小されるだろうし、国をまたいだ移動にはしばらくの間は制約もある。そこで、家族とともにアジアの英語圏へ移住して、英語を用いて指導するための準備期間を設けようとしている。

それに、コロナの影響は岡部の描く未来にとってマイナスばかりではないことにも気がついた。日本でもテレワークなどが広まってオンラインでのやり取りへのハードルが下がったのは多くの人が感じているだろうが、岡部のもとにはアメリカや韓国などでVRの浸透率が高まってきたというデータも集まっている。そうしたデータは、岡部がXRプロジェクトをさらに進めるモチベーションにもなっている。

なぜ、苦しい状況でも前向きに、そして精力的に行動ができるのか。

その理由は、岡部が未来を大切にしているからだ。岡部は未来をこんな風に定義する。

「未来は、今を生きた結果が表われたものだと思います。だから、未来を想像すると分かるんです。『今、この瞬間を大事にしないといけないな』と」

岡部の言葉が前向きで、パワーにあふれているのは、未来のために今を生きているからなのかもしれない。

この人に聞きました
岡部将和
岡部将和
1983年8月1日、神奈川県生まれ。兄の影響で5歳からサッカーをはじめ、幼少期からプロサッカー選手をめざす。横浜マリノスジュニアユース、県立荏田高、桐蔭横浜大を経てフットサルに転向しFリーガーとなる。2009-2010シーズンで現役を引退。その後、前例のなかった「ドリブルデザイナー」として活動を開始。誰でも抜けるドリブル理論を持ちYouTubeをはじめSNS上で配信中で、フォロワーは210万、ドリブル動画閲覧数は2億回を超える。
ライタープロフィール
ミムラユウスケ
ミムラユウスケ
2009年1月にドイツへ移住し、ドイツを中心にヨーロッパで取材をしてきた。Bリーグの開幕した2016年9月より、拠点を再び日本に移す。以降は2ヵ月に1回以上のペースでヨーロッパに出張しつつ、『Number』などに記事を執筆。サッカーW杯は2010年の南アフリカ大会から現地取材中。内田篤人との共著に「淡々黙々。」、著書に「千葉ジェッツふなばし 熱い熱いDNA」、「海賊をプロデュース」。岡崎慎司選手による著書「鈍足バンザイ」の構成も手がけた。

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