劔樹人に聞く、結婚と趣味。「あの頃。」のハロヲタのいま

劔樹人に聞く、結婚と趣味。「あの頃。」のハロヲタのいま

劔樹人に聞く、結婚と趣味。「あの頃。」のハロヲタのいま

ライフステージの変化とともに、変わる趣味との付き合い方。どうすれば好きなものを一生好きでいられるのでしょう? ハロヲタ、ベーシスト、音楽プロデューサー、漫画家、そして父親という複数の顔を持つ劔樹人さんに、結婚と趣味についてお聞きしました。

好きなことを追求し続ける生き方

「音楽で食っていきたい」夢と「働いてお金を稼ぐ」という現実の狭間で悩みながらも、面白くて刺激的な20代青春の日々を綴った劔さんの自伝的コミックエッセイ『あの頃。男子かしまし物語』が、2021年に映画として公開されます。原作者で、松坂桃李さん演じる主人公のモデルとなっている劔樹人(つるぎ・みきと)さんは、2014年にイラストエッセイストの犬山紙子さんと結婚し、現在では娘を持つ40代の父親です。

そんな劔さんには、一貫して人生を支える強い光がありました。それは『あの頃。男子かしまし物語』のなかでも描かれている『ハロー!プロジェクト(以下、ハロプロ)』の存在です。大学院受験に失敗し、バンド活動を続けながらお金もなく彼女もいない生活を送っていた青春時代に、松浦亜弥をきっかけに知ったハロプロが心の支えになっていました。

そして1人のハロプロファン(ハロヲタ)として熱中した先には、多くの仲間たちとの出会いだけでなく、今の仕事へのつながり、さらには結婚・育児という独身時代にはまったく想像しなかった現在がありました。

では、独身時代から続けているアイドルのファンという趣味や音楽活動との付き合い方は、結婚後どう変化したのか。決して計画的に歩んで来たわけではないものの、心が動くことを続けてきた結果、これまで以上に「やりたいことをやる」人生が待っていました。

結婚後のほうが趣味を自然体で楽しめるようになった

独身時代の劔さんは、ハロプロのライブへ行ったり新曲が発表されたときのリリースイベントへ赴いたりと、音楽で売れるという夢と同じか、もしくはそれ以上に趣味にも多くの時間を注いでいました。『あの頃。男子かしまし物語』映画化にあたっても、グッズや衣装など多くの私物を提供したことから、その当時の熱量がうかがえます。

しかし結婚して子どもが生まれると、必然的に時間の使い方に変化があったようです。

「子ども中心の生活になって、やっぱり趣味に割く時間は減りましたよ。でも、それは当然のことですし苦痛もとくに感じません。これまでに僕の周りでも、生活が変わってライブやイベントに来られなくなった人の入れ替わり立ち替わりを見てきましたし。むしろ『行けるときに行けばいい』という自然な楽しみ方になった気がします」

結婚後のほうが趣味を自然体で楽しめるようになった

20代の頃には新曲が発売されるたびに、ひとまず購入だけするといった義務的な楽しみ方になっている部分もあったそうです。しかし結婚してからは、空いた時間に本当に知りたい情報のみをチェックしたり、行きたいイベントにのみ参加したりなど、自身の感情に沿った自然な関わり方へと変化していきました。

「子どもが1歳くらいの頃は、連れてチェキ会やリリイベ(リリースイベント)に行ったこともありました。子連れだと椅子のある場所に通されることやメンバーが子どもを喜んで覚えてくれることもあって、ちょっと優遇されるんです。でも、子どもを連れて行くときは急に機嫌が悪くなれば途中でも帰らないといけなくなるリスクもありますので、いいことばかりではありませんが。娘も自我が出てきてからはテレビも自分の見たいものを主張するようになったので、無理をして趣味を共有しようともしていません。自分が見たい動画なら子どもが寝たあとに見ています。

20代は本当にすがるようにハロプロを追いかけていました。それこそ、現実の音楽活動で上手くいかない自分から逃避する目的も少なからずあったと思います。でも結婚して家族ができ、現実の自分も少しずつ受け入れられるようになってくると、趣味とも適度な距離感を保ちながら純粋に楽しめるようになってきました。大切な家族ができたことも大きいのかもしれません」

独身時代は義務感を抱きながら趣味や仕事に向き合う機会も多かったようですが、結婚した今の方が自分のことに割ける時間は減ったものの、むしろやりたいことが素直にできていると話します。

本当に好きなことはやめようと思ってもやめられない

30代前半までの劔さんは「人との出会いは大切にしなくてはいけない」といった焦燥感から、誘われた仕事関連の集まりにはなるべく参加していました。自分より大人の人から言われる「人脈が大事だ」という言葉を信じて、半ば義務的に人と会っていたわけです。

しかし当時から人脈を目的として人に会うことをどこか疑問に感じ、苦しく思うこともあったそう。そのため時間の使い方が大きく変わった出産後は、集まりに無理して参加するのは止め、本当に会いたい人たちだけと会うようにしていきました。

「義務感で会っていた人たちとは、結局関係性が長続きするわけではないんです。だから無理することはやめました。その分は自然と、家族をはじめ本当に気の合う人と過ごす時間になりました。自分が持っている時間のなかで、周りに気を遣う時間が減ったわけですから気持ちも自然と楽になりました。本当に大切な人だけに囲まれた生活で、幸福感も増しましたね」

本当に好きなことはやめようと思ってもやめられない

また20代当時は音楽で売れるという夢を叶えるために、バイトをしながらバンド活動を継続。しかし安定した職に就く同級生を見て、劣等感を抱いたこともありました。

「先生のお葬式で久しぶりに高校時代の同級生たちと再会したとき、みんな安定した職に就き、きちんとした身なりをしていました。それに比べて自分は就職もしないままバンド活動に明け暮れ、お金もなかったですから、礼服すら持っていないんですよ。ほかの同級生が本当に立派に見えましたね」

改めて、彼らに恥ずかしくないように音楽で成功しないといけないと思ったものの、そう上手くはいきません。安定した就職のために音楽活動をやめることも考えたわけですが、やはり音楽との関わりはなくすことができませんでした。

「確かに当時は『音楽で食っていきたい』気持ちはありました。でも、もともとお金になるからではなく、音楽は純粋に好きだから始めたこと。今になって思うと、なんで音楽をやめるかどうかで迷ったんだろうって思いますね。

やっぱりこの年になってようやく分かることですけど、好きなことはやめようと思ってもやめられないものなんです」

大好きな音楽をやめるという選択肢はなかったという劔さん。音楽で成功していることや、売れていること、稼げていることは、今になるとどうでも良かったといいます。

松浦亜弥との出会いで人生に輝きを取り戻す

とはいえ、好きなことを追い続けるのも楽ではありません。大学時代にサークル仲間と始めたバンドを通じて音楽で売れることを夢見ていましたが、生活のためのバイトと、休日の朝から夜遅くまで行われるバンド活動で、次第に疲弊していきます。

そんな劔さんを元気づけようと、友人が貸してくれたCDが、ハロプロを知るきっかけでした。

「『モーニング娘。』や『鈴木あみ』など、渡されたCD-Rのなかにはアイドルのプロモーションビデオがたくさん入っていました。ぼんやりと順に眺めていると、あるアイドルに釘付けになってしまったんです。それが、当時15歳で元気よく踊る、松浦亜弥さんの姿でした。気づくと、ボロボロ泣いていて……。初めて見たときの衝撃は、いまだに忘れません」

松浦亜弥との出会いで人生に輝きを取り戻す

ほかのアイドルと比べて、特別な輝きを放っていた松浦亜弥さん。とめどなく溢れる涙は、これまでの自分の惨めさを洗い流すために、必要な作業でした。

「太陽のような松浦亜弥さんを画面越しに見て、自分はなんてちっぽけな存在なんだろうと思い、当時住んでいた薄暗い部屋のなかでひとり泣きました。でも、それがきっかけで僕はハロプロという存在と出会い、これまでのいじけた自分が嘘のように元気を取り戻していきました」

こうして劔さんは、ハロプロにどっぷりハマっていくことになります。

「最初は基本的に1人でファン活動を行っていました。でもやっぱり、イベントの後にその日の感動を共有し合う仲間がいたら、もっと楽しいだろうなとも思っていましたね」

そんなある日、たまたま訪れた日本橋のショップで、「ハロヲタのトークイベント開催」という1枚のフライヤーを見かけました。「もしかすると、一緒にハロプロを応援できる仲間と出会えるんじゃないか」という期待を胸に、1人で向かったトークイベントで、現在も親交のある仲間と出会います。

「会場のステージに登場したのは、かなりキャラの濃い人たちでした。でも彼らのハロプロについて語る内容が、めちゃくちゃ面白かったんです。こんな人たちと友達になれたら、絶対楽しいと思って、僕はあまりそういうことをするタイプではないのですが、トークイベント終了後なんとか勇気を出して彼らに声をかけました。そしたら1人、バンド界隈で一度会ったことのある人だったことがわかって、ほかの人たちも『赤犬』という関西で人気あるバンドのメンバーで。それですぐに打ち解けることができたんです」

趣味への熱中が仕事や結婚につながる

本当に自分が好きなものへ情熱を注いでいると、仕事と趣味が重なることも多々あったようです。例えば、ハロプロファンの仲間からの紹介で、音楽のプロデュースやWEB連載の仕事につながることもありました。『あの頃。男子かしまし物語』の映画化も、そんなWEB連載がきっかけです。

また妻の犬山さんとの出会い・結婚も、ハロプロという共通項があったことは大きく影響しました。結婚してからも、趣味などやりたいことに時間を割けているのは奥様の理解が大きいそうです。

「ハロプロファンの人のなかには、結婚のときにグッズをすべて捨てられたなんて話もあります。でもうちは妻も同じハロプロファンですし、向こうも趣味が多いからか、好きなものへ情熱を注ぐことに対してとても理解がある。おかげで育児など家庭内での役割さえ果たせば、好きなことをやれる環境なんです」

趣味への熱中が仕事や結婚につながる

結婚後も、奥様の理解がありながら好きなことを続ける劔さん。確かに自分のために使う時間は減ったものの、音楽やハロプロなど好きなことに熱中し続けてきた結果、歳を重ねるごとに人生は楽しくなってきたと話します。

「バイトでお金もなくバンドを続けていた20代の頃はどうしても苦しくて、30歳になれば楽になるよと言われたこともあるけど、そんなのもっと苦しくなるに決まってるでしょと思っていました。でも、30歳、そして40歳と歳を重ねるごとに、こうでなくてはならないというこだわりのようなものから開放されて気持ちがすごく楽になってきたんです。

20代の頃はやりたいこととお金を稼ぐことの狭間で、もしかすると悩む機会が多いかもしれません。でもやっぱり苦しくても、自分の心が動くことに力を注いでいると、いずれは光が見えてくると思います」

劔さんはあくまでも好きなことを続けてきた結果、犬山さんやハロプロ仲間など、新たな出会いが生まれました。本当に自分の心が動くものへと情熱を捧げるために、一歩踏み出してみる。すると、劔さんのように自分の好きなものを尊重してくれる新たなコミュニティに出会い、新しい挑戦や自分が没頭できる何かを見つけられる可能性があるのではないでしょうか。

この人に聞きました
劔樹人
劔樹人
1979年新潟県生まれ。ダブエレクトロバンド「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシスト、漫画家。神聖かまってちゃんのマネージャーや、音楽プロデュース業を経て2014年にイラストエッセイストの犬山紙子と結婚。自伝的コミックエッセイ「あの頃。~男子かしまし物語~」(イースト・プレス)が2021年に映画化されるほか、著書に「高校生のブルース」(太田出版)。「今日も妻のくつ下は、片方ない。 妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました」(双葉社)。狼の墓場プロダクション所属。
ライタープロフィール
中島 瑶子
中島 瑶子
育児系雑誌の編集アシスタント、美術系出版社にて編集記者を経て2020年にペロンパワークス入社。

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