2019年2月にスタートした「deleteC」(デリートシー)のプロジェクト。世の中のあらゆるものから「Cancer(がん)」の頭文字である「C」を消すデザインアクションです。参加する企業や団体はCの文字を消した商品やオリジナル商品を販売。その売上の一部がdeleteCを通じ、がん治療研究に寄付されるシンプルな仕組みです。さらに、そうしたがん治療研究の取り組みを、誰もが理解できるよう翻訳し、発信しています。

デザイナーの中島ナオさんは「deleteC」だけでなく、髪があってもなくても楽しめるヘッドウェア「N HEAD WEAR」など、QOLをより良くすることにもつながるプロダクトを手掛けています。
6年前、自らもがんを患った中島さん。どんな時も「今の自分を好きでいられるように」と、生活の工夫や新しい挑戦を続け、暮らしのなかに楽しみを見出してきました。そうした自身の経験のなかで、がん当事者を取り巻く環境や情報、描かれ方に違和感を感じ、少しでも変えていけないかと考えるようになったといいます。
以来、「がんをデザインする」ことに取り組み続けきた中島さんの挑戦の軌跡と、これからを語っていただきました。
【この記事で想像できる未来】
理想:
皆の力で、1日でも早く「がんを治せる病気」にする。
実現:
髪があってもなくても楽しめる帽子“N HEAD WEAR”を展開。さらに、がんの治療研究を応援し、発信する仕組み「deleteC」を発足。
もしかしたらの未来:
デザインの力でがんのイメージや未来を変える。それにより、「がんになっても大丈夫」といえる社会を作る。
プロフィール
中島ナオさん
QOLデザイナー/ナオカケル株式会社 代表。1982年生まれ。2014年31歳で乳がんを罹患。16年ステージ4に。17年東京学芸大学大学院修了。同年、ナオカケル株式会社を設立し、髪があってもなくても楽しめるブランド"N HEAD WEAR"をプロデュース。19年2月にdeleteCを発足し、同年9月に代表理事に就任。
がんになり、分かったこと

――中島さんは2019年に「deleteC」のプロジェクトを発足させていますが、それ以前にも、がん治療の副作用で頭髪が抜けた人も気軽に楽しめる帽子「N HEAD WEAR」など、複数のプロジェクトを手掛けてこられました。30代になってから、こうした活動を始めるに至った経緯について教えていただけますか。
中島:私は6年前の2014年春、31歳の時に乳がんであることが分かりました。怖さや悲しさ、戸惑いはもちろんありましたが、それ以上に「この病気について知りたい」と強く思ったのを憶えています。というのも、当時、がんを患っている方が身近にいなかったこともあり、この病気についての知識や理解がまるで持てなかったからです。
そこで、まずは本を読んだり、同じ病気の方にお話を聞き、医師に質問するなどしました。治療を決めるためにも、自分なりにがんを知ることから始めたんです。
――その後、治療をしながら大学院進学のための「受験勉強」も始められたとうかがいました。
中島:はい。夏から受験勉強を始め、秋に受験、そして病気が分かってから1年後の春に入学することができました。ちなみに、それまでは教育関係のNPOで働いていて、仕事に熱中していました。そんな矢先の病気の発覚でもあったため戸惑いは大きかったですが、これをきっかけに大学時代に学んだデザインについてもっと勉強しようと思ったんです。

――30代から新たな道に舵を切る。思い切った決断ですね。
中島:そうですね。ただ、大学院への進学も大きな挑戦でしたが、当時はほかにも色々やってみて「スタートの数」を増やそうと考えていたんです。大学院でもデザインとは全く異なる心理学や社会学、環境教育の先生にお話を聞きに行ったり、積極的に音楽や体育の授業を受講していましたね。分野を越えて知識や情報を得ることで、改めて「自分って、本当はどんな人間なんだろう」と確認していくような、そんな時間でした。
――大学院修了後は、どんなキャリアを描いていましたか?
中島:教員免許を取得したこともあり、当初は大学の講師になろうと考えていました。非常勤であれば、仕事をコントロールしながら治療を続けられると思ったからです。でも、準備をしていた矢先にがんの転移が分かりました。再び副作用が重い治療を始めることになり、これでは就職できないんじゃないかと不安でしたね。
ただ、同時に転移という状況になって初めて、病気に縛られている自分に気づいたんです。それまではつい、「がんにならなかった場合の人生」について考え、そこへどうにか戻れないかと思っていました。でも、その時に吹っ切れた。大事なのはそこからどうしていくかです。以来、やりたいことは「いま、やろう」と思うようになりました。
その後、デザイナーと並行して大学の非常勤講師として働くことも叶いましたので、諦めずに行動することが実現につながると感じています。
デザインの力で、QOLをより良いものにしていく
――その言葉通り、大学院修了後ほどなく起業し、「N HEAD WEAR」のブランドを立ち上げています。N HEAD WEARの構想は、どのように生まれましたか?
中島:乳がんは脱毛を伴う治療があり、私自身、初めて治療を受けた際に全ての頭髪が抜けました。髪のことは大学院時代にずっと囚われ続けていた悩みの一つで、授業中も体育の時も生えそろわない髪の毛を隠すために常にニット帽をかぶっている状態でしたね。ですから、転移後の治療でまた毛が抜けてしまうことが本当に嫌で、一時は生活に希望を見出せなくなってしまったんです。メイクしたり、身支度することは日常の楽しみの一つでしたから、余計に気が沈んでしまいました。そこで、悩んで考えて、たどり着いたのが「N HEAD WEAR」。髪がなくても楽しめるデザインのヘッドウェアです。

――自身の悩みを解決するとともに、そこからデザイナーとしてのキャリアがスタートしたわけですね。
中島:はい。当初、まさか自分でブランドを立ち上げるとは考えていませんでしたが、あるファッションデザイナーの方に「君が頭で描いていることは、君自身で形にしないとダメだ」と言われ、ハッとしたんです。その言葉をきっかけに、自分でやろうと決めました。ファッションは全く経験のない分野でしたが、粘土をこねるような感じで試行錯誤しながら形にしていきました。
大変でしたが、イメージ通りのヘッドウェアができたことで、これまで以上に身支度が楽しくなりました。髪の毛がないという状態が、大きなストレスにならなくなりました。
――ただ、そうした帽子がこれまでなかったというのも問題ですね。がん患者の方が日常生活で抱える困難に、あまり目が向けられてこなかった証といえるかもしれません。
中島:困難に目が向けられていないというよりは、がんや闘病という言葉が持つ暗く重く固いイメージのほうに引っ張られがちなのかなと感じます。そこで、どんな人でも楽しめるものを新しい選択肢として届けることが必要だと思いました。
そして、QOLをより良くする、もっと広く言えば「がんをデザインする」ようなことができないかと考えたんです。脱毛という自分にとっても身近な悩みに対し、生活に楽しさを添えるアイテムとして形にできたのは大きな自信になりましたね。
がんを治せる病気にすることを諦めたくない

――そこから「deleteC」に至るまでの経緯をお聞きしたいです。まずは、同じく代表理事で発起人の一人でもある小国士朗さんとの出会いから教えていただけますか。
中島:小国さんと初めてお話したのは約3年半前。私のがんの転移が分かった1週間後でした。当時、NHKのプロデューサーだった小国さんがスピーカーの勉強会に参加した時、「この人に話を聞いてもらいたい!」と思い、改めて連絡したんです。そこで、ほぼ初対面にも関わらず、4時間くらい話をしてしまって……(苦笑)。
――4時間!(笑)。何かをやりたい!という思いが溢れてしまった感じでしょうか?
中島:はい(笑)。「がんをデザインしたい」という思いは当時から抱いていましたが、今ほど考えや言葉がまとまっているわけではありませんでした。転移が分かってから1週間後ということもあり、かなり混乱もしていたと思います。それでも小国さんは熱心に耳を傾けてくださり、以降も数ヵ月に1回くらいの頻度で、相談に乗っていただきました。
――日常をデザインすることだけでなく、がんの治療研究にも目が向き始めたのはその頃ですか?
中島:もともと思いを持っていましたが、改めて自分の中で「がんを治せる病気にしたい」強く思うようになり行動にうつしたのは、N HEAD WEARなどのプロジェクトが軌道に乗り始めた頃です。小国さんと出会ってから2年近く経った、2018年の夏くらいですね。
それからは様々な場所で、改めて思いを口にするようになりました。小国さんや、deleteCの発起人の一人でもあるバリノス株式会社取締役の長井陽子さん、そのほか、多くの方々と連絡をとり、お話をしましたね。deleteCのアイデアが生まれるきっかけとなった、MD Anderson Cancer Center(テキサス大学MDアンダーソンがんセンター)の上野先生とも、この時に出会いました。

――2018年の夏に「がんを治せる病気にするために行動したい」と決め、わずか半年後の2019年2月には「deleteC」が発足しています。まさに「いま、やろう」のスピード感ですね。
中島:翌年2月4日の「World Cancer Day(世界対がんデー)」には、どんなに小さくても何か自分にできる具体的な第一歩を踏み出そうと決めていました。ですので、11月に小国さんから「Cを消そう!」というアイデアが生まれ、その構想を持ててからは動きが一気に加速しましたね。2月にキックオフを、5月にはその世界観を体験してもらうイベントを開催しようと。前だけを見て、実現したい一心で進めていった感じです。
――「deleteC」は様々な企業が展開する既存の商品名やサービスから「C」の文字を消したコラボ商品を販売し、その収益の一部をがん治療研究の支援金に充てる仕組みです。消費者にとっては商品を買うだけで治療研究を応援することにつながりますし、がんについて関心を抱くきっかけにもなりそうですね。
中島:がんは生涯で2人に1人が患う病気といわれ、誰にとっても身近なものです。ただ、がんについて関わりたくても、なかなか踏み込めないと思うんです。
なので、きっかけとして、もっと異なるアプローチ方法があっても良いのかなと思います。がんには「暗く、重く、固い」イメージがあるからこそ、deleteCでは「あかるく、かるく、やわらかく」を行動理念として掲げているんです。

これは現実? 誰もが知るあの商品とのコラボ
――2019年にプロジェクトが始動し、現在までに50以上の企業・団体からの支援やコラボレーションが実現しているそうですね。参加企業には、どのようにアプローチされたのでしょうか。
中島:2019年2月4日にキックオフした後は5月のイベントに向けて、かなりの数の企業へプレゼンにうかがいました。最初は簡単ではありませんでしたが、それぞれの考え方や方法で賛同してくださる企業、個人の方々が徐々に増え、つながりが生まれていきましたね。
――なかでも特に印象深いコラボを教えていただけますか。
中島:どれも思い出深く選びきれないのですが、3つあげるとするなら、まずは今治タオルメーカーの「IKEUCHI ORGANIC」さんとのコラボです。IKEUCHI ORGANICさんは初めてdeleteCのプロジェクトにご参加いただいた企業で、代表の池内さんはお会いした直後に「C」の文字を消した商品タグの画像を送ってきてくださいました。「COTTON NOUVEAU(コットンヌーボー)」という商品からCを消した「OTTON NOUVEAU(オットンヌーボー)」のタグを見た時は、感動してすぐメンバーに共有しました(笑)。

――すごいスピード感ですね。
中島:はい。すぐに動いてくださり、本当に嬉しかったです。2つめはサントリーさんの「C.C.Lemon」とのコラボです。全国に展開されていて、誰もが知っている商品から本当に「C」が消えた時は「これは現実なんだろうか」というくらいゾクゾクしましたし、発売後はその影響力の大きさを実感しました。北海道や沖縄の友人からも「近くのスーパーにあったよ」と連絡が来たりして、ああ……日本中に届いているんだなあと。

中島:そして3つめは、今年1月に行われた「deleteCマッチ」ですね。ラグビーのトップリーグの試合会場で、選手の皆さんががん治療研究の募金を呼びかけてくださったんです。試合のハーフタイムには大型ビジョンに「deleteC」の文字が映し出されて、信じられないような光景でした。私たちが言い続けてきた「がんを治せる病気にしたい」という思いが着実に広がっていることを実感するとともに、私たち自身も応援されているような心強さを感じました。

――中島さんたちの思いに共感する人が増え、応援の輪がどんどん広がっていますね。
中島:それも、全ては一緒に進めているメンバーがいることによって叶えられています。一人では困難でも、皆の力が集結することでエソラゴトを実現できるのだと思いました。小国さんを始め、企画を必ず着地させる心強いメンバーと、ご支援くださっている方々に支えられていますね。
思いを言葉に。希望の種を育てたい
――プロジェクトの今後の展望を教えてください。
中島:私たちは毎年2月4日のWorld Cancer Dayに合わせ、集まった資金を医師や研究者の方へ届けることをゴールに定めています。今年の2月には、初めて研究資金をお渡しすることができました。今後はこのサイクルを回しながら、応援の輪を大きく広げていくことが当面の目標ですね。
――大きく広げていくために、どんな施策を考えていますか?
中島:イベントなどを通じて、活動について知っていただいたり、世界観を共有できる機会を積極的に作っていきたいですね。今年の9月にも大きなイベントを開催する予定です。
――オンライン環境や文化が一気に広がりそうな気配もありますし、それこそリモートで世界中の人が参加できるイベントにしてしまうのも良いかもしれませんね。
中島:そうですね。ここ数ヵ月、外出自粛で不自由な生活をされている方も多いと思います。オンラインをうまく活用しながら、誰もが気軽に参加できるようなイベントのあり方を考えていけたらと思いますね。
――最後に改めて「deleteC」や「N HEAD WEAR」の活動を通じ、“中島さんが作りたい未来”についてお聞かせいただけますか。
中島:正直、「こういう社会をめざしたい」みたいなものはなくて、その時々の自分の思いを言葉にし、実行してきただけなんです。でも、それが今をつくってきたのは確かなことです。
私は今も治療を続けていて、これから先いろんなことがあると思います。悩んだり、迷ったりすることもあるかもしれないけど、その経験も生かし、今を少しでも良くするために「何かできるはず」と常に思える自分でいたいと思います。
deleteCを通じて思いを言葉やかたちにすることは、がん治療研究の応援につながるだけでなく、自分にとっても希望の種になっています。これからも続けていける仕組みを考え、この希望の種を育てて行きたいです。
ライタープロフィール

編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。
WEBサイト:50歳までにしたい100のコト(外部サイト)
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