津田梅子が新5,000円札に 一体どのような人?【お金から紐解く偉人伝】

津田梅子が新5,000円札に 一体どのような人?【お金から紐解く偉人伝】

津田梅子が新5,000円札に 一体どのような人?【お金から紐解く偉人伝】

紙幣のデザインから歴史を学ぶシリーズ、第二回目の今回は2024年度発行予定の新5,000円札に採用が決まった津田梅子について。津田塾大学の創立者として知られる彼女自身の生涯や、日本の女性教育の歴史について分かりやすく解説していきます。

お札に描かれる人物について分かりやすく解説

日本に流通する紙幣。そこに描かれる人物の写真や名前は知っていても、どのような理由で「紙幣の顔」となっているのかをご存知ない方も多いかもしれません。「お金から紐解く偉人伝シリーズ」では、紙幣に描かれた人物の功績やエピソード、現代社会に与えた影響までを分かりやすく解説します。

津田梅子がお札の肖像として選ばれた理由は?

日本で女性の肖像が紙幣に選ばれるのはまだ少数

出典:新札イメージ 財務省(外部サイト)

これまで日本紙幣の肖像に女性が選ばれた前例は少なく、現行5,000円札の樋口一葉のみです。

また肖像ではありませんが、2000年に発行された2,000円札では、裏面に『源氏物語』の作者である紫式部の絵と詞書が採用されました。

肖像の選定基準は詳しく定められている訳ではありませんが、日本国民の間で一般的によく知られており、人物像の写真や絵画が入手できることを条件にしています。ちなみに5,000円札の樋口一葉は「日本の社会で女性の地位が向上し、男女共同参画社会が進むなど、新しい時代の流れを表す」という理由で選ばれたそうです。

そして今回、新紙幣に採用された津田梅子は、津田塾大学の前身である「女子英学塾」を設立しました。日本人女性の教育に、一生を捧げたといわれる津田梅子。当時の日本人女性が置かれていた環境や、彼女の生涯について詳しく見ていきましょう。

津田梅子がめざした日本人女性の発展とは

津田梅子がめざした日本人女性の発展とは

出典:津田塾大学 津田梅子について(外部サイト)

アメリカ留学の経験が人格の土台となる

津田梅子が生まれたのは、江戸時代の終わり頃、1864年の東京(当時は江戸)です。佐倉藩の幕臣だった父・津田仙(つだ せん)の勧めで、1871年に岩倉使節団の女子留学生としてアメリカへと留学します。当時の津田梅子はまだ8歳。5人いた女子留学生のうち、最年少だったといいます。

このときの女子留学生には、津田梅子以外にも後に日本初の看護婦学校設立に携わる大川捨松(旧姓、山川)や、ピアノを学び日本の洋楽教育に貢献する瓜生繁子(旧姓、永井)といった、その後歴史に名を残した人物たちもいました。

アメリカに渡った津田梅子は、その後、実親よりも影響を受けることになるチャールズ・ランマン夫妻のもとに預けられます。ランマン夫人とは生涯にわたり文通を行い、高齢になった夫人の自宅へと掃除に向かいケアを行うなど、深い交流があったようです。

ランマン夫妻のもとで生活するようになって1年を過ぎる頃、津田梅子にはキリスト教への信仰心が芽生え始めました。ランマン夫人や周囲のアメリカ人女性の多くが聖書から道徳を学んでいる姿勢に影響を受け、自らキリスト教の洗礼を受けたといいます。

津田梅子にとって、アメリカにおけるアメリカ人女性たちの社会的な地位は、日本における日本人女性の社会的地位よりも高いと感じられました。こうしたアメリカ留学での経験は、津田梅子が女性の社会的地位向上のために教育へと人生をかける、土台になったといえるかもしれません。

留学期間は当初10年間の予定でしたが、1年間の延長を申請。留学してから帰国までの11年間、18歳になるまで、アメリカで初等・中等教育を受けて過ごしました。

当時、女子留学生たちは政府から留学費用として1年で1,000ドル、さらに往復の旅費や学費、生活費なども給付される好条件だったようです。支給される金額は、日本で一家が裕福に暮らせるだけの額で、一人の少女にとってはあまりにも多額でした。だからこそ政府が自身にかける期待を知った津田梅子は、母国の発展に貢献したいという思いを強く持つようになりました。

日本での女性のあり方に落胆する

アメリカでの留学経験を活かし、日本の社会に貢献したいと決意を抱いた津田梅子。しかし帰国後に見た、アメリカと日本における女性への扱い方の差に大きく落胆します。例えばアメリカでは、電車の座席に座っていた男性が立ち上がって、女性に席を譲る場面はよく見る光景でした。一方で、日本ではほとんど見かけませんでした。

また、当時の日本ではアメリカとは異なりお見合い結婚が一般的。そのため結婚までにお互いのことを深く知らずに婚約が成立していました。さらに津田梅子は、結婚ではとくに男性側が女性を選び、女性は一方的に従うものだという価値観を強く感じたといいます。

ほかにも女性のための働き口が日本の社会にはほとんどなく、大きなカルチャーショックを受けます。

では、なぜこのように日本では女性の地位が低いのか。その原因は女子のための高等教育が重要視されていないことにあると、津田梅子は考えました。日本人女性の地位を高めるために、まずは男性と同じように教育を受けられる環境を作ること。津田梅子はその実現に向け、伊藤博文の案内もあって華族女学校に教授として赴任しました。

二度目の留学で女性教育を学び「女子英学塾」設立へ

二度目の留学で女性教育を学び「女子英学塾」設立へ

出典:津田塾大学 津田梅子について(外部サイト)

そして1889年、津田梅子は人に教えるためにもさらに深く西欧の思想を理解する必要を感じ、再びアメリカへの留学を決意します。

金銭面での不安はありましたが、教鞭を執っていた華族女学校の校長から、留学中の2年間も給与の支給を続けてもらえることが決まります。

金銭面の不安が解消された津田梅子は、二度目の留学で少人数制の質の高い教育を受講。さらに女子教育についても深く調べるため、1年間留学を延長しました。在学中には、一回目の留学で接点のあったモリス夫人の協力を経て8,000ドルを集め、自分の後に続いてアメリカへ渡る日本人女性のための奨学金制度「日本婦人米国奨学金」委員会も設立しています。

そして留学期間が終わりに近づくと、津田梅子はブリンマー大学の教授から「大学に残って研究を続けないか」と言われたそうですが、その申し出を辞退。日本女性の教育を自身の天命と信じ、帰国しました。

1892年、帰国した津田梅子は華族女学校の教授として再び教壇に立ち、女子高等師範学校教授も兼任します。それだけではなく女学生を自宅で預かり、教育も行っていたようです。

さらに、女性教育へと熱意を注ぐ津田梅子は国が設置した教育機関とは異なる「私塾」を設立したいとも考えていました。一定の枠にはまらずに個性を尊重しながら、女性へのより高度な教育を実現したかったようです。そのため1900年、35歳になった津田梅子は、私塾の設立のために華族女学校教授を辞任します。

その後、幼少期の留学でともにアメリカへ渡った大川捨松や瓜生繁子、二度目の留学でお世話になったモリス婦人など多くの人に協力してもらいながら、ついに念願だった私塾「女子英学塾(津田塾大学の前身)」を麹町区(現在の千代田区の一部)に設立しました。

開校式で津田梅子は「真の教育には、教師の熱心、学生の研究心が大切であること、学生の個性に応じた指導のためには少人数教育が望ましいこと。さらに人間として女性としてオールラウンド(all-round)でなければならないこと」と語りました。この言葉は女子英学塾の教育精神として、生徒たちに受け継がれていったといいます。

没年後も津田梅子の意志は引き継がれる

没年後も津田梅子の意志は引き継がれる

「女子英学塾」で熱心な指導を受けた卒業生は「津田梅子の教育は厳しかった」と口を揃えて言いました。1919年に塾長を引退後、病床で過ごしていた津田梅子の元に多くの卒業生や友人が絶えなかったことからも、信頼されていたことが分かります。

「日本婦人米国奨学金」制度は1929年に津田梅子の没年後も、1976年までで計25人の女性にアメリカ留学の機会を与えることになりました。奨学金を利用して留学した女性たちの中には、津田塾大学の学長を務めた星野あいや日本初の女性として国連総合日本政府代表として活躍した藤田たき、また津田塾大学の現学長の高橋裕子などがおり、教育界を中心に幅広く活躍しています。

また1948年の戦後に女子英学塾は「津田塾大学」と名称を改められ、女性初の東大教授や各分野の研究者、さらに政治家などを輩出しながら現在でも社会に貢献する女性の教育を行っています。

世界の紙幣に描かれた女性たち

世界の紙幣に描かれた女性たち

日本の紙幣で採用された樋口一葉など、女性が肖像として採用されるようになったのは、近年になってから。しかし世界の紙幣では、もっと以前から女性が採用されています。

例えば、イギリスのポンド紙幣(1994年発行)にはエリザベス2世が登場。スペインでは、スペイン史上最も偉大な女王の1人としてあげられるイサベル1世が採用されたり(1957年発行)、イスラエルでは政治家のゴルダ・メイアが登場したり(1985年発行)しました。さらに、オーストリア共和国の作家で歌手のベルタ・フォン・ズットナー(1966年発行)や、ドイツのピアニストで作曲家のクララ・シューマン(1991年発行)など、世界の紙幣においても文化の発展に貢献した女性が選ばれるようになりました。

そして国内において、2024年度の新紙幣で登場を予定しているのが、今回紹介した津田梅子です。アメリカへの留学を経て国内と海外の女性に対する扱いの差に気付き、男性と共同して対等に力を発揮できる女性の育成に心血を注いだ彼女の生涯。これからを生きる私たちの未来に大きな可能性を与えてくれるのではないでしょうか。

他の紙幣に描かれた人物についても知りたい方は、こちらの記事も読んでみてくださいね。

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参考:
『津田梅子』 (朝日文庫) 大庭みな子著
津田塾大学 津田梅子について(外部サイト)
朝日新聞 女性の力を信じることがこの国の未来を救う理由(外部サイト)
財務省 わが国の紙幣(外部サイト)
国立印刷局 お札に関するよくあるご質問(外部サイト)

ライタープロフィール
八坂 都子
八坂 都子
育児系雑誌の編集アシスタント、美術系出版社にて編集記者を経て2020年にペロンパワークス・プロダクション入社。マネー系を中心にカルチャーなど幅広いテーマで記事執筆・コンテンツ制作を行う。

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