語源からお金への理解を深めよう

お金儲けという言葉を聞いて、読者の皆様はどのようなイメージを抱くでしょうか。楽してお金を得るのは悪いことで、毎日精一杯働いて稼ぐことこそが正しい、そのように感じる方も少なくないかもしれません。あるいは話題に出すのさえ良くないと、お金について語るのを避ける方もいるでしょう。
お金を稼ぐことやお金について考えることは、社会の一員として生きるうえで大切な行為の一つです。しかし、なぜ私たちはお金に対して悪い印象を持ってしまうのでしょう。そもそも、私たちはお金についてどれくらい知識があるのでしょうか?
この記事ではお金への理解を深める第一歩として、お金のやりくりを意味する「経済」の語源とお金の起源について紹介します。
「経世済民」と「エコノミー」

「経済」という言葉が現在と同じ意味で用いられるようになったのは、明治時代に「ポリティカルエコノミー」(Political Economy)が「経済学」と訳されたのが始まりとされています(出典:『経済学と「理財学」 ― 明治期における日本語変遷の一齣 ―』下谷政弘)。以降、英語の「エコノミー」=「経済」と訳されるようになったようです。
ただし、「経済」も「エコノミー」も、本来はそれぞれ異なる語義を持つ言葉です。まずは二つの言葉の成り立ちについて見ていきながら、「経済」という言葉の本質を探っていきましょう。
経済は「経世済民」の略称だった
江戸時代頃には、既に経済という言葉が確認されています。ただし、当時と現在では「経済」という言葉の意味は少し異なっていたようです。
読者の方のなかには、「経世済民(けいせいさいみん)」という言葉を聞いたことがある方もいるのではないでしょうか? これは、6世紀〜10世紀頃にいくつか残された中国の古典に記載のある語句で、「世を経めて(治めて)民の苦しみを済う(救う)」という意味があります。
諸説ありますが、この「経世済民」あるいは「経世済俗」「経国済民」の短縮形が「経済」という言葉のルーツとする説が有力です。つまり「経済」は当初、お金のやりとりという意味を持ってはいませんでした。
日本の江戸時代でもこの意味で用いられていたようで、例として江戸時代中期の儒学者、太宰春台が「世ヲ経シテ民ヲ済フト云義ナリ」として、治世の文意で著書『経済録』で経済という言葉を用いているのが確認されています。
エコノミーは家庭のルールを意味していた
英語の「エコノミー」はギリシャ語の「オイコノミア」という言葉から生まれました。
オイコノミアは「オイコス」(Oikos)と「ノモイ」(Nemu)という2つの言葉が一つになった言葉です。オイコスは家庭、ノモイは法律やルール、規則といった意味があります。そこから、オイコノミアは家の管理や家政を指すようになりました。後年にはエコノミーに、国家を意味する「ポリティカル」(Political)という言葉を加えたポリティカルエコノミーという言葉が登場します。
そして、日本に入ってきたポリティカルエコノミーは当時の学者たちによって、「経済学」あるいは「理財学」と訳されるようになります。こうして「エコノミー」=「経済」と訳されるようになった、というのが定説です。
経済は大きな石から始まった

経済の語源についてご紹介したところで、ここからは「お金」の始まりについて紹介します。
とある研究では、お金の起源は太平洋に浮かぶ小さな島、ヤップ島だったと考えられています。ヤップ島はミクロネシアに属する島です。一番近くの島まで約480キロメートルも離れている外界から閉ざされた場所でしたが、そこでは独自の経済システムが築かれていました。
ヤップ島は「フェイ」という硬貨を使っていました。フェイは巨大で分厚い、車輪のような形をした石です。中央に穴が空いているため、穴に棒を差し込めば持ち運ぶことも可能でした。しかし、現代の私たちが小銭を財布に入れて持ち歩き、商品と交換するような使い方はされていませんでした。
フェイは取引の帳簿として使われていました。ヤップ島で交易されるのは主に魚やヤシの実、ナマコなど。島民はお互いの物品の交換記録をフェイに刻み、債権や債務の清算は1回のやりとり毎、あるいは1日や1週間の終わりにまとめて行っていたようです。
ヤップ島の人々はフェイに刻まれた記録や、お互いについて信用していました。海に沈んでしまい失ってしまったフェイについても、持ち主の言葉を信頼してその後も取引に使っていたほどです。
似たような仕組みが、古代メソポタミア文明でも用いられています。こちらはクレイトークンと呼ばれる粘土製の小さな物体を利用した取引で、トークンの形に応じた物品と交換されていました。例えば、円錐形のクレイトークンはパンと、卵形は油と、長菱形はビールといった具合です。
山口揚平は著書『新しい時代のお金の教科書』のなかで「その記録と各人の信用に基づいて、そこに今、現在の価値ある資産がなくても「信用」する、ということ。これこそがお金の大発明と言われる理由」と述べています。フェイやクレイトークン自体が価値を持つわけではなく、それらは単なる信用取引の帳簿として使われていました。そしてお互いの信頼関係さえあれば、フェイすらも必要ありませんでした。
お金の始まりは、こうしたお互いの貸し借りの記録であったとされています。
お金儲けは悪いこと?

経済の語源やお金の始まりについて、ご存じなかった方も多いと思います。上記で紹介したのは経済のきっかけ、お金に関する知識の入口のような部分です。
日本ではほとんどの方がお金の教育を受けずに社会に出てしまいます。
2014年、金融経済教育を推進する研究会が全国の中学、高等学校の教諭に向けて、お金や経済の教育に関するアンケートを行いました。その結果、約6割の教員が、金融教育に関する授業時間が十分ではないと考えていることがわかりました。
具体的なデータを紹介すると、お金に関する授業時間は年間だと中学3年生で1〜5時間程度、高等学校の各学年においても1〜5時間程度にとどまっていると答えています。
出典:金融経済教育を推進する研究会 中学校・高等学校における 金融経済教育の実態調査報告書(外部サイト)
私たちがお金儲けについて悪いイメージを持ってしまうのは、上記のような学習機会の不足も原因の一つといえるでしょう。
他国と比べても、日本の金融教育は不十分であるといえます。
例えば、米国では高校生を対象に金融知識テスト「全米金融能力チャレンジ」を開催し、学生が金融について学ぶ機会を設けているほか、2011年時点では13の州が、高校での金融学習を義務化しています。また、ニューヨーク州では小学校から金融教育がカリキュラムに採り入れられています。
これらの活動は金融に関する大統領諮問委員会「PACFC」や非営利団体「ジャンプスタート個人金融連盟」などが中心となって行っており、国と民間がそれぞれ積極的に金融リテラシーの向上に取り組んでいることがわかります。
出典:『米国の学校における金融教育の動向-保険教育の取組を中心に-』中江俊
お金との向き合い方(金融リテラシー)が乏しいと、お金に振り回されてしまい、自分らしい活き活きとした生活を送ることが困難になります。騙されてしまうリスクも高まるでしょうし、投資は損するもの、楽してお金を儲けることは悪いことなど、お金に対して偏ったイメージを持ってしまいがちです。逆に、正しい知識があればお金と向き合うことにも積極的になれます。
実際、米国では家計の金融資産の合計額のうち株式や投資信託が46.3%と、約半分を占めています。一方で、日本の場合は株式や投資信託の割合が13.9%となっており、金融資産の半分以上は現金や預金です。このことからも、日本では投資などによる資産形成に消極的であるといえます。
出典:日本銀行調査統計局 資金循環の日米欧比較(外部サイト)
金融教育は誤ったイメージを払拭するだけでなく、将来の資産形成について考えたり、行動したりするためにも必要であるといえそうです。
(まとめ)お金について考えることは「共同体のあり方」を考えること
先ほど、お金の始まりはお互いのやりとりの記録であるという説を紹介しました。
お金について考えることは、その社会がどのような仕組みで成り立っているのかを知ることでもあります。社会の仕組みが理解できれば、物事に対して正しく考え、行動を取れるようにもなるでしょう。
お金儲けやお金について考えることは悪いことではありません。自分が所属する共同体のあり方について考える、社会の一員として大切な行為の一つなのです。
参考:
・『新しい時代のお金の教科書』(ちくまプリマー新書)山口揚平著
・『21世紀の貨幣論』(東洋経済新報社)フェリックス・マーティン著、遠藤真美訳
・『経営と経済―その字義と語義およびその転換―』中本和秀(外部サイト)
・『経済学と「理財学」 ― 明治期における日本語変遷の一齣 ―』(福井県立大学論集 第36号)下谷政弘(外部サイト)
・『中学校・高等学校における 金融経済教育の実態調査報告書』金融経済教育を推進する研究会(外部サイト)
ライタープロフィール

主にマネー系コンテンツ、広告ツールを制作する株式会社ペロンパワークス・プロダクション所属。立教大学卒業後、SE系会社を経て2019年に入社。これまでにクレジットカードに関するWeb記事やIT関係の企画に携わる。
笠木 渉太の記事一覧はこちら