食の未来を変える。インテグリカルチャー・羽生雄毅に聞く、社会を変革するビジネスの現在地

食の未来を変える。インテグリカルチャー・羽生雄毅に聞く、社会を変革するビジネスの現在地

食の未来を変える。インテグリカルチャー・羽生雄毅に聞く、社会を変革するビジネスの現在地

新たな事業を創出し、その分野から社会を変えようとしている起業家にインタビュー。食糧不足や環境破壊の解決策として注目される細胞農業の領域に挑むインテグリカルチャーの羽生雄毅(はにゅう・ゆうき)さんにそのビジョンや培養技術の未来を伺いました。

背景にあるのは細胞農業に基づいた新しい社会インフラの構築

――羽生さんはインテグリカルチャー株式会社(以下、インテグリカルチャー)を設立する前から、有志団体「Shojinmeat Project」で細胞培養を行なっていました。2015年に起業に至った経緯を教えてください。

羽生:もともとは、私が自宅で、培養肉が育つ様子を動画配信したのが始まりです。次第に、理系の研究者だけでなく、文系の学問を専攻している人、さらには精進料理に詳しい人やアーティストなど幅広く細胞培養に興味を持つ人が集まり、自宅で細胞培養を行う同人サークル「Shojinmeat Project」となりました。企業でも、大学でもなく、法人格もない集団が、オープンソースやDIYで「話題となっている培養肉を作ったら面白い!」と楽しんで活動を続けていました。

活動では、培養肉をはじめとした、動物や植物などの産物を細胞を培養することにより生産する「細胞農業」が社会の中でどうあるべきか自由に議論を重ねていきました。その中で、「細胞農業」の実現や普及のためには、インフラを担う企業だけではなく、法整備をする団体なども協力して進めていくべき全容が見えてきたんです。その流れで、2015年にインテグリカルチャーを設立しました。

――起業したかったというより、「細胞農業」を推進するために様々な団体が関係し合い、共栄するエコシステムを完成させるための一つのパーツとして会社を設立したイメージでしょうか。

羽生:そうですね。私たちの位置づけは、培養肉の研究・開発や細胞培養プラットフォーム技術を販売して、細胞農業の大規模化と産業化を担う「細胞農業インフラ企業」です。

弊社が用いる「CulNet(カルネット) システム」で作れるものは培養肉に限りません。動物細胞で構成される食品や皮革、コスメに含まれる成分など、「CulNet システム」を用いることで企業や個人が様々なものを培養できる社会インフラの整備をめざしています。

背景にあるのは細胞農業に基づいた新しい社会インフラの構築
初の自社セルラー・ビューティー・ブランド「CELLAFTY(セラフティ)」から発売したエッセンスリップティント

――「CulNet システム」の特徴や今までの装置との違いはどこにあるのでしょうか?

羽生:弊社のシステムは、どんな種類の細胞でも培養できることが強みです。既存の装置では、培養したい細胞ごとに、細胞の増殖を促進する「成長因子」などを含む専用の培養液を開発する必要があり、手間がかかりました。また、細胞培養に必須な栄養源を含む培養液の単価が高いこともひとつの課題となっていますが、高額な培養液を使わずに、スポーツドリンクのような原材料で培養できるためコストダウンが可能です。

背景にあるのは細胞農業に基づいた新しい社会インフラの構築
細胞培養プラットフォーム「CulNet システム」

現在、このシステムで実証したいのは「大規模」な培養が可能なことと、「色々な種類」の動物細胞に使えるということです。少量であればすでに培養可能で、現在、量産化の実現に向けて開発を進めています。さらに、細胞の種類は、発表している鶏の筋肉細胞と鴨の肝臓細胞からさらに種類を増やしたいと考えています。

企業経営におけるジレンマは、やはりある

――企業経営をする中で、一番苦労していることはどのようなことですか。

羽生:現状、私自身は仕事の9割を企業経営に割いている状況です。ベンチャー企業にありがちな、社内人事や制度作り、外部交渉などに多くの時間を費やしています。当たり前ですが「Shojinmeat Project」のような同人サークルの人集めと、社員の募集では全く目的が異なります。労働市場向けのブランディングやそれに資するような情報発信をして、企業経営に長けた優秀な人材が集まれば、私の経営面での負担が軽減するのではと期待しています。

調整が難しいのは、私がゴールとするエコシステム構築とビジネスの継続が相反する場合です。具体例をあげると、知的財産の公開範囲についてです。そもそもの活動がオープンソースでスタートしていますし、弊社はインフラ技術にフォーカスする仕組みを作ろうとしているので、培養肉や細胞農業の社会実装を考えたときに、オープンにしないとだめだろうと考えます。

一方で、その透明性の高い事業を継続させるためには資金が必要です。そこで、培養肉の作り方のノウハウはオープンにして、大規模化の方法は知的財産や特許で社内に限定するという方法をとっています。すべてを公開するのは難しいと予想はしていましたが、その通りでしたね。

大変なことは多いですが、起業しなかったら今よりこの分野の技術の発展や変化のスピードが遅くなっていたと思います。タイミングとしては良かったです。

――羽生さんがやりたいことと、企業経営のために必要なことの調整は難しそうですね。

羽生:色々な問題が発生しますが、弊社がめざすのは「インフラ企業」と明確に振り切ったことで、技術標準やインフラを利用する企業を募るというビジネスモデルが描けるようになりました。

具体的には、弊社の「CulNet システム」を細胞培養の基本インフラとして提供して、細胞培養が国内外に広く普及することをめざす細胞農業統一基盤「Uni-CulNet(ユニ カルネット)」という構想を進めています。個別企業と細胞農業製品の開発を進めたり、既存の培養液とは異なる共同技術開発や規格化を進めたりしています。

弊社の役割を具体的にしていくことで、投資家にも説明しやすくなりましたね。

企業経営におけるジレンマは、やはりある

――国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(以下NEDO)の公募に採択され、約2億円の助成金交付が決定するなど、資金調達は順調そうですね。

羽生:そうでもないです。弊社と同じような海外のベンチャー企業と資金調達に関して比較すると、おおよそアメリカとは100倍の金額差が出ています。日本での資金調達は、正直難航しています。新興国の経済成長にともない、2030年頃にタンパク質の需要が供給を上回ると予測され「タンパク質不足問題」は明確な課題としてあげられますが、それと実際の投資行動は結びつかない印象です。

――何がボトルネックになっているのでしょうか。

羽生:「培養肉が普及するイメージがわかない」「実際に培養できるのか確証を得られない」という理由だと思います。バランスシート(※)を見ると、不確定要素が多すぎて金融的にはリスクしかないんです。どこにリスクがあるかを見つけるやり方において、「可能性があるか」はあまり重要視されない。いくらビジョンに共感しても、実務段階はバランスシートで判断されるので難しいです。日本全体が高齢化しているので、海外とは見ている未来が違っているようにも感じています。

現在、培養肉の領域は、研究室で実験をしていた次の段階の、社会実装をするフェーズにあります。そのために必要なのは、資金調達をしてエンジニアリングの開発をどんどん進めることです。海外投資家にもアピールしながら叶えたいですね。

※バランスシート:企業のある一定時点における、資産・負債・純資産の状態を表した書類

今日のメニューは「培養肉」。自宅やレストランでも手軽に培養肉を!?

――「CulNet システム」が普及すると、一般家庭やレストランで簡単に培養肉が作れるようになるのでしょうか。

羽生:もう少し技術を進歩させて、塊肉を作れるようにする必要はありますが、趣味で作れるレベルには近い将来なると思います。将来的には、タンパク質すべてを代替するのではなく、お肉の種類の一つに培養肉が加わるイメージです。

家庭よりレストランでの普及が早いかもしれません。培養することと調理することに科学的な違いはないので、細胞培養が調理の一つになり得るからです。自家製ヨーグルトやぬか漬けといった「発酵食品」を作るのと同じような感覚です。シェフが風味や食感をコントロールし、好みの味や健康に配慮した「デザインミート」を作ることが可能になります。

今日のメニューは「培養肉」。自宅やレストランでも手軽に培養肉を!?
培養フォアグラで作られた料理

――レストランのオリジナルメニューに培養肉ですか?研究室でなくても簡単に作れるのですね。

羽生:ただ培養して生肉を作るだけではなく、霜降り肉や逆に脂質が少ない肉などレストランのオリジナル食材を作る感じです。弊社のシステムを使い、後はシェフがどのように培養(調理)するかが腕の見せどころ。秘伝のタレの世界です。仕上がりに占めるシェフの役割は9割以上なのではないでしょうか。

弊社がめざす社会インフラを構築するためには、研究者でない一般の方がいかに使いこなすことができるかが重要になってきます。同人サークルでも技術開発をして、小学生が夏休みの自由研究に培養肉を作れるようにしています。草の根的な活動と企業活動を同じベクトルで進ませ、最終的には色々な人が色々な細胞培養をして合流するイメージです。

SFにはロマンがある。それを現実社会で見てみたい

――「細胞農業のプラットフォームを作る!」という壮大なプランを生み出す源にはどのような思いがあるのですか。

羽生:そもそも理系を専攻した理由は、SFにロマンを感じるからなんです。培養肉はサイエンスの領域でホットな話題となっているので試してみたところ、今までにないエコシステムが見えてきました。SF映画や漫画で描かれるような培養肉や細胞農業があり、ディストピアでない社会を作りたいと思いました。

博士課程を修了したあたりから気づいたのが、私がSFと思っていたものを作る技術は、バイオでも化学でも宇宙工学でもなく、システムエンジニアリングだということです。そこで、細胞農業がある全体的なシステムを描きました。その中にインフラを整備する企業や、「日本細胞農業協会」のようなNPO法人があり、それぞれの役割を果たすイメージです。

単独企業だけで何かを成し遂げようとすると、私が描くビジョンに到達するのは難しいと考えています。例えば、遺伝子組み換え技術は特定企業の利益のためだけに使われてしまったので、不信感が高まり社会的コンセンサスを得ることが難しくなってしまいました。培養肉も同じようなリスクをはらんでいると思います。企業だけではなく、個人でも作れるようにすることが、健全なかたちで社会に広がるためには不可欠だと思います。

SFにはロマンがある。それを現実社会で見てみたい

――培養肉が普及することで、私たちの食生活はどのように変化するのでしょう。

羽生:今、私たちが牛肉や豚肉、鶏肉を食べているのは、その肉がおいしいからというより、飼育しやすく量産できるからです。培養肉だとその制限が外れるので、もしかしたらイリオモテヤマネコなど希少生物の肉が一番おいしいとなるかもしれません。細胞さえあればマンモスの肉を作ることもできます。

培養して作られた食品自体をどう捉えるかは価値観や感性によりますが、個人のスタンスとしては「食べたくないので食べない」で良いと思います。一方、シンガポールやイスラエルなど、食料安全保障問題を抱えている国は、感情に配慮する余裕はなく、タンパク源を獲得しようと必死です。

国によって培養肉に対する温度差はありますね。アメリカは食料安全保障というより、業界の覇権や産業振興という意味で力を入れています。シンガポールは、覇権を取るのは難しくても、ハブにはなりたいという思惑があるのではないでしょうか。日本もどこかで技術的に食い込みたいという思いを感じます。

食料不足の解消や環境負荷の軽減に貢献したいという思いはもちろんありますし、弊社のシステムが食品業界や素材業界など幅広い産業を支える、新しい世界を見てみたいです。

細胞農業のこれから

世界人口の増加による食料不足や畜産による環境問題などの解決に向けて、近年、大豆などの植物性タンパク質で作られた「代替肉」は、食品売り場や飲食店でも見かけるようになってきました。「培養肉」も同様、研究開発や普及が進むことで、地球規模で懸念されている課題を解決する可能性を秘めているのではないでしょうか。

羽生さんが描く細胞農業をベースにしたエコシステムの構築という未来像には、社会課題の解決にとどまらない、新しいライフスタイルに対する期待感があります。研究者や畜産業に携わる人だけでなく、多くの人が「細胞農業」を生活に取り入れる、壮大な構想が近い将来実現するかもしれませんね。

環境負荷や食糧問題を解決するための選択肢の一つである、「フェイクミート」の特徴や注目され始めた背景などはこちらの記事でお読みいただけます。
フェイクミートが注目されるのはなぜ?環境・健康との関係

カカオの安定供給をめざす「カカオ・トレース」の取り組みはこちらでお読みいただけます。
美味しいチョコレートを未来の子どもたちに~カカオ・トレースの挑戦

この人に聞きました
羽生 雄毅さん
羽生 雄毅さん
インテグリカルチャー株式会社代表取締役CEO。2010年オックスフォード大学博士(化学)取得。東北大学多元物質科学研究所、東芝研究開発センター、システム技術ラボラトリーを経て、2014年細胞農業の有志団体"Shojinmeat Project"を立ち上げる。2015年インテグリカルチャー(株)を設立。2018年に3億円のシード資金調達。インテグリカルチャー(株)では細胞農業の大規模化と産業化、Shojinmeat Projectでは大衆化と多様化に取り組んでいる。
ライタープロフィール
小林 純子
小林 純子
フリーランスライター/キャリアコンサルタント
日系客室乗務員(CA)として勤務した後、大手監査法人でCO2排出量の審査やCSRコンサルタント業務に携わる。CA時代に培った接客マナーと、監査法人時代のビジネス知識、またキャリアコンサルタントの傾聴スキルでインタビュー記事を中心に幅広く執筆活動を行う。一児の母として、教育問題にも関心が高い。旅行と本が読める場所をこよなく愛する。

小林 純子の記事一覧はこちら

RECOMMEND
オススメ情報

RANKING
ランキング