科学の力で快適さを生み出す「生体センシング」とは
超高齢化社会の進展に伴う社会保障費の増加や老老介護、介護離職などが課題となっている現代の日本。そんな社会問題を解決する一手として、人々の健康状態の把握や予防医療に有効なテクノロジーである「生体センシング」が注目されています。
今回は、生体センシングの活用事例や生活への取り入れ方について、同分野の研究および国内における生体センシングを活用したウェアラブル端末開発の第一人者である、東京大学名誉教授の板生清(いたお・きよし)教授にお話をお伺いしました。
「生体センシング」はどんな技術?

生体センシングは、感知を意味する英語「sense」の現在形、「sensing」に由来した言葉です。生体(生きているものの体)の情報や現象を捉え、データ化して分析することを意味していますが、その定義はやや曖昧で、1.情報を調べること、2.得た情報を処理すること、3.処理した情報を解析してアクションを起こすことのすべてを指しています。
つまり歩数を計測して健康管理に役立てることも、体温を測ることも、心電図で異常を発見して治療につなげることもすべて生体センシングの一種となるのです。

人類が初めて生体センシングに触れたのは、今から400年以上前のこと。イタリアの医学者・サントリオが、かの有名なガリレオによって生み出された温度計を応用して「体温計」を考案したのが始まりです。
日本において生体センシングが大きく発展したのは、第一次世界大戦後の1921年でした。当時、大日本医師会会長を務めていた北里柴三郎が尽力し、「赤線検温器株式会社」を設立したことで、国内における水銀体温計の供給が可能になりました。国産の体温計は、国内の医療現場で活躍したといわれています。
心不全やうつ病もモニタリング。生体センシングを使ってできること
心拍や血圧だけでなく、生体センシングの対象は多岐にわたります。継続的に検知することで生体現象の把握だけでなく、改善や治療にもつなげていけるのです。
検知した生体現象をデータ化し、二次データ、三次データと解析していくと、様々な疾病をモニタリングできるようになります。
例えば、日本人の約6パーセントが経験するといわれる「うつ病」は心臓の拍動を検知し、自律神経の活動をデータ化することでモニタリングします。また、生後2~6ヵ月の乳児に多いとされる「乳幼児突然死症候群」も呼吸から胸部運動、呼吸数をデータ化することでモニタリングが可能です。
このように生体センシングは多くの人々を悩ませる疾病のモニタリングに適用されています。
生体センシングの課題と、可能性を広げる「AI」への期待
現在は多種多様な生体現象を検知できるようになっていますが、板生教授は「まだ技術レベルは初歩的な段階」と語ります。
現時点での生体センシングにおける大きな課題は、測定されたあらゆるデータを時間軸で取りまとめて観測する「システム化技術」や「情報解析技術」が追いついていないこと。
データを多方面から集めて包括的に把握できるようになると、これまで以上に一人ひとりの体の状態をより深く検知できるようになります。そこで期待されているのが、「AI(Artificial Intelligence:人工知能)」です。生体信号の解析にAIを用いることで、精度や技術が向上していくと予想されています。
熱中症対策、精神疾患にも。医療分野にイノベーションをもたらす、生体センシングの活用方法

心不全やうつ病、生活習慣病など、生体センシングによって検知できる生体現象からモニタリング可能な疾病は多岐にわたります。
尿や汗、脳波の測定の他、睡眠モニタリングやストレス認識など、様々なセンシング技術が医療分野で活用され始めているのです。
ここでは、今後活用が見込まれ、医療現場にも大きなイノベーションをもたらす可能性の高い事例を2つご紹介します。
高齢者の熱中症を防ぐ!生体センシングによる体温制御
2020年、気温の高い6月から9月の期間に「熱中症」で救急搬送された人数は、6万4,869人にも上りました。高齢者が屋内で熱中症にかかるケースも多く、中には重症化による長期入院や死亡例も。そんな問題を解決するために期待されているのが、生体センシングによる体温コントロールの実現です。
「生体センシングを活用した体温制御アイテムの一つとして、現在、首を冷やすネッククーラーを開発しています。決められた温度で冷やすだけでなく、自律神経の状態や外気温、体温に応じて調整することで、一人ひとりに最適な温度に調整できます」と板生教授はいいます。
単に体温を測定するだけでなく、「センシング→プロセッシング(分析や推定)→アクション(体温を調整)→センシング」の流れを繰り返すことで、体温や外気温を考慮しながら適温を保つことが可能になるのだそうです。
2015年時点での日本の単身高齢者は593万人ですが、少子高齢化の流れを受け、2040年には896万人にまで増加すると予想されています。ヘルパーや家族のサポートを受けられない高齢者が増える社会にも、生体センシングの技術が活用されていくのです。
心の状態を客観的に評価!心療内科で期待される生体センシング

日本において、一生のうちにうつ病や不安症といった心の病気にかかる人の割合は、なんと約5人に1人。ストレスにさらされる機会が増えた昨今、メンタルケアや治療のため心療内科に訪れる人も増加しています。そのような分野で導入に向けての研究が進んでいるのが「携帯型心拍計」です。
携帯型心拍計を利用すると、受診時以外のタイミングも含めて常時自律神経の状態をモニタリングできるようになるため、患者本人も認知できていない「真のストレス源」を正確に把握できる可能性が高まります。
担当医の主観によって診断や治療方針が定められるという心療内科ならではの課題を解消する一手として、本格的な導入が今後、期待されています。
生体センシングを自身のケアに役立てるには?

体の部位に取り付けられる「ウェアラブルデバイス」を活用すると、生体センシングを毎日の健康管理に役立てることができます。スマートウォッチやスマートグラスなどがイメージされますが、指輪型パルスオキシメーターやセンサー付きGPSシューズなど多種多様なアイテムが展開されています。
手軽に使えるウェアラブルデバイスの実例
ウェアラブル端末に搭載されている生体センシングの機能には、以下のものがあります。
・スマートウォッチ:時計型で消費カロリーや移動距離記録などの運動データ、心拍や睡眠リズムなどを記録できる。中には、心電図や体温測定機能を備えたものも。
・スマートグラス:まばたきの強さや速度などを測定・分析し、体の状態を評価する。
・指輪型パルスオキシメーター:指に装着して心拍数や酸素飽和度を測定する。
・GPS付きシューズ:GPSを内蔵し、高齢者や認知症患者を見守る。
・リストバンド型の活動量計:腕に装着して、歩数や消費カロリー、睡眠リズムや睡眠の質を測定する。
・髪留め型の活動量計:ヘアゴムとして髪に装着することで、歩数や消費カロリーを測定する。
この他、スマートフォンカメラによるセンシング技術を活用したヘルスケアアプリも登場しています。中には、カメラに指先を押し当てるだけで消費カロリーや運動量が分かったり、リラックスレベルを測定したりできるものも。より気軽に、生体センシングを日常に取り入れられる様々なサービスが既に開発されているのです。
生体センシングで実現する未来
慢性疾患の増加や予防医療の必要性から、日本を含めた世界各国でウェアラブルヘルスケアデバイス市場が伸長しています。生体センシングを日常に取り入れると、健康管理が容易になるのはもちろん、快適感が高まることによるQOL向上も期待できます。命と健康、そして豊かな人生を守るため、「1人、1デバイス」が当たり前になる未来が来るのかもしれませんね。
この人に聞きました

東京大学名誉教授、お茶の水女子大学学長特別招聘教授、工学博士。1968年に東京大学修士課程を修了し、日本電信電話公社に入社。1996年東京大学大学院工学系研究科教授、2004年から2007年まで東京理科大学イノベーション研究科長、2013年まで教授として勤務。2000年8月「NPO法人ウェアラブル環境情報ネット推進機構」を設立以来、理事長を務める。2005年から2013年まで科学技術振興機構「先進的統合センシング技術」研究領域総括。人間情報学会代表理事。
ライタープロフィール

金融機関勤務を経て、フリーライター/編集者に転身。現在は企業パンフレットや商業誌の執筆・編集、採用ページのブランディング、ウェブ媒体のディレクションなど、幅広く担当している。
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