異なる姿を見せるティラノサウルスの復元図

ティラノサウルスは約6,800万年前に現在の北アメリカ地域に生息していたとされる恐竜です。大きいものでは全長約13メートル、体重約9トンに達する個体もいたとされており、現在発見されている2足歩行型の恐竜の中では最大。ティラノサウルスこそが地球史上最強の肉食生物とする説も多く出されています。
「体が巨大で、地球の歴史上で最強の肉食生物といえるティラノサウルスはまさに恐竜のアイコンと呼べる存在です。だからこそ子供たちからの人気も高いですし、ティラノサウルスを専門にしている研究者も多くいます」
そう話すのは古生物学者の小林快次(こばやし・よしつぐ)さん。北海道大学総合博物館教授や同館で副館長を務める、日本を代表する恐竜研究者です。

小林さんが「アイコン」というように、恐竜と聞くとティラノサウルスの姿を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
ただ、現在私たちが知るティラノサウルスの姿は、すべて化石や骨を基に再現されたイメージです。では、それらはどのような過程でこれまで形作られてきたのでしょうか?
羽毛?ウロコ?ティラノサウルスの2つの学説

骨や化石を基に恐竜が生きていた頃の姿を推測し、イラストや立体などの形に起こした図を「復元図」と呼びます。ティラノサウルスの見た目は復元図によって細部に違いがあることがありますが、どうしてこのようなことが起きるのでしょうか?
元々、ティラノサウルスの皮膚はウロコで覆われている姿であったと考えられていました。しかし、2012年に中国で見つかった「ユティラヌス」というティラノサウルスに近い種族の恐竜に羽毛が生えていた証拠が確認されました。そのため、ティラノサウルスの姿は、皮膚の表面はウロコ状であったとする説と、体に羽毛が生えていたという説の、大きく分けて2つの学説があるそうです。
「ユティラヌスに羽毛が見つかったことをきっかけに『同じように大きな体を持つティラノサウルスにも羽毛が生えていたのでは?』と考える研究者が現れました。2つの学説について真偽がまだ証明されていないため、どちらの説を参考とするかによって復元図に違いが生まれているわけです」
恐竜研究は大昔に絶滅した生物を研究するもの。現代に残された少ない痕跡を頼りに研究を進めるため、たくさんの仮説が立てられていますが、その真偽を立証することが難しい分野だそうです。
「実際にティラノサウルスの化石や骨から羽毛の痕跡が見つかった事例は、これまでに一度もありません。しかし、現段階ではどちらがハズレともいうことができない。私はどちらの説も可能性があると考えていますので、恐竜図鑑の監修をさせていただくときはどちらの説も採用しています」
同じ監修者でも図鑑によってこのような違いが出る点が、ある意味で恐竜研究の奥深さだと小林さんはいいます。
復元図はどうやって作られる?

モンゴル、ゴビ砂漠にて発掘作業を行う小林さん
実際に恐竜の痕跡として見つかるのは骨や化石のみ。そのような少ない情報からどうやって恐竜の復元図を制作するのでしょうか?
「まず研究者が化石を基に、恐竜の骨や筋肉の成り立ちを表す図を作成します。この図を『骨格図』といいます。骨格図を基に、アーティストがコンピュータで3Dモデルを作ったり、イラストを描いたりします」
研究者がロジカルに作りあげた骨格図と、アーティストの絵心が上手く合わさる点が復元図制作の楽しさだと小林さん。
「もし我々研究者がイラストを描いたら、躍動感ゼロのロボットみたいな恐竜になってしまうと思います。アーティストに描いてもらうことで生き生きとした復元図ができあがる。一般の人が見たときに恐竜を実在した生き物として実感できる図を作るには、アーティストの存在が不可欠です」
恐竜は空想の生き物ではありませんが、実際に姿を見た人は現代にいません。復元図制作は、科学と創造が重なる曖昧な境界線を形にしていく作業。そのためか、時々恐竜の特徴を大きく強調しているような過剰な復元図もみられるようです。
「過剰な復元図がいけないことだとは思いません。恐竜研究は保守的になり過ぎるとつまらなくなってしまうものです。『もしかしたらこうだったかもしれない』という仮説を突き詰めていくことで、そのことが刺激になって新しい研究が生まれることもある。もちろん根拠もなく過剰な復元図制作をしたら、それは駄目ですが、そこにちゃんとした根拠があるなら良いと思います」
小林さんは科学的根拠と創造の範囲内で、復元図にどれだけ遊び心を出すかということが大切だといいます。
大ヒット映画が復元技術の発展に貢献したことも
以前はアーティストが手作業で恐竜の絵を描くことが復元図制作の主流の方法でしたが、近年ではコンピュータを利用することが一般的となっています。小林さんによると、コンピュータ技術によって復元図制作における効率化が進んだといいます。
「復元図を作っているときに『この部分を少し変えたい』と思う部分が出てくることがあります。以前であれば変更依頼をした部分をアーティストが手作業で消して、また書き直すという作業が発生していましたが、今はコンピュータであっという間に修正が完了します。だから、研究者の細かい意見を反映しやすくなってきています」
また、以前よりも描く恐竜の姿のリアリティが向上したとも。
「昔の復元図では、例えば手が不自然な曲がり方をしているような図もありました。現在、コンピュータで作っていくと、骨格や関節をベースとして整合性を確認しながら制作ができます。そういう点において復元図の精度は大きく向上したといえるでしょう」

アーティストが手作業で描いた復元図の例
左1970年代の復元図(ティラノサウルスの仲間タルボサウルス)中・右1990年代の復元図

コンピュータで作られた復元図
左:最近はフォトグラメトリーを使ってデジタル化した骨格に(赤色の部分)CGで肉付けする手法も登場。目の位置など正確な場所に描くことができる
右:完成した復元図
※この恐竜はティラノサウルスの仲間のテラトフォネウス
復元の技術は長年積み重ねられた恐竜研究の成果によってこれまで発展してきました。しかし、反対に復元技術の進化が恐竜研究分野の発展に貢献した事例もあります。復元技術がグラフィック制作に存分に活かされた、大ヒット映画作品が恐竜研究を活性化させたというのです。
「1990年代に公開され大ヒットした恐竜映画でも恐竜研究者が監修を行い、恐竜の姿が映像に復元されています。この映画を観て恐竜研究の道に進んだ人が大勢います。そういう人たちが現代の恐竜研究における第一線で活躍されています」
もしかしたら、大ヒット映画がなければ恐竜研究は現在ほど発展していなかったかもしれません。映画の中で生き生きと動き回る恐竜の姿が人に刺激を与え、現在の恐竜研究の発展につながったといえるでしょう。
恐竜の生活も復元する
小林さんは、復元とは恐竜の姿を絵に起こすことだけではないといいます。生きていた頃にどのような生活をしていたかを明らかにすることも、復元に含まれるそうです。
「恐竜たちがどんなものを食べていたか?生きていた時代の環境はどのようであったか?そのような恐竜たちの普段の生活を研究することも復元の一つです。最近では病理学分野の研究も進んでいて、恐竜も癌を患うことがあったのではないかという説も出されています」
既に絶滅してしまった生き物の生態を調べることは容易なことではありません。恐竜の生活を知るために、現存するほかの生物の研究も役立てられています。
「1980年代に発表された研究結果で恐竜は生物学上、爬虫類と鳥類の間の進化過程に位置する分類群とされました。つまり、爬虫類は恐竜にとっての祖先で、鳥類は子孫にあたるといえます。爬虫類と鳥類の研究から、この2つに共通する特徴が見つかれば、高い確率で中間の存在である恐竜も同じ特徴を持っていたと推測されます。恐竜研究において、今生きている生物から学ぶことは多くあります」
恐竜たちの生活や当時の環境など様々な側面から研究が進められている恐竜研究。ティラノサウルスの本当の姿を復元できる日は来るのでしょうか?
本当のティラノサウルスの姿はいつ分かる?

コンピュータの性能の発達や生物学の研究など他分野の発展によって精度が向上してきた復元技術。今後も技術革新によってさらなる発展が期待されています。
「実際の恐竜の姿と100パーセント一致するというところまで精度を求めるのであれば、復元では不可能だと考えています。本当の恐竜の姿を知るためにはタイムマシンが開発されることを待つしかありません。もしくは、映画のように化石に残ったDNAから恐竜を蘇らせる方法がありますね。色々な研究がされていますが未知の部分が多い。実際にいつか実現されるとしても、まだまだ先は長いでしょう」
復元とはあくまでも科学的根拠と創造の範囲内で「想像図」を制作する行為。技術がどれだけ進んでも100パーセント一致したといい切ることは難しいようです。
「ただし、正解を知る術がないから分からないものの、もしかしたら現在の復元図が実際の恐竜の姿と変わらないという可能性もあると思います。過去数十年で復元に関する技術は飛躍的に向上しています。例えば、30年前の復元図はデータがない部分を想像して描くことがありました。しかし現在では、技術の発達によって恐竜の姿勢や、どのように腕を動かしていたかといった細部まで科学的根拠を持って復元できるようになってきている。どこまでを正解とするか、それだけの問題かもしれません」
どんどん技術が発展していく一方、先は長いとされる恐竜研究。これから研究はどのように進められていくのでしょうか?
恐竜研究のこれから

小林さんは2019年にカムイサウルス、2021年4月にはヤマトサウルスという、日本で発見された新種の恐竜を発掘しています。
「日本での恐竜の研究発表は名前を発表するところまでがピークで、それ以外は特に話題にならないことが多くあります。しかし、今回のヤマトサウルスの研究では、ヤマトサウルスが属すハドロサウルス科の起源、進化、環境がいかに恐竜にとって重要か、ヤマトサウルスの仲間たちがどうやって大陸を移動したか、といった点までグローバルにストーリー展開できました」
単に新種の恐竜を発見しただけでなく、それをきっかけに世界に向けて日本の恐竜研究の成果を発信できたことは、価値のある事例だそうです。
「これまで日本では、恐竜研究の最新情報は海外から仕入れるものだとあたり前のように思われてきました。今回の発見で日本の恐竜研究のポテンシャルを示すことができた。まだまだ日本にも恐竜の化石が埋まっていることも考えられますし、今後につながる成果があげられたと実感しています」
恐竜の存在を人類が初めて知ったのは1810年代。それ以前から恐竜の化石は見つかっていましたが、ただの石だと思われていたようです。ただの石に見えても、調べるとたくさんのことが分かるという点が恐竜研究の醍醐味であるとのこと。
「どの恐竜の研究も一見ただの石にしか見えないような化石から始まります。恐竜の研究はその石との対話のようなものです。観察することは化石に語りかけること。研究者が化石を観察して石にたくさん語りかけると、始めは黙っていた石も重要なメッセージを返してくれる。石からのメッセージが深ければ深いほど研究はどんどん面白くなっていきます。ただの石にしか見えない化石たちに、いかにこちらが価値を見いだすかが重要です」
小林さんは恐竜の姿の復元だけでなく、生物学や地質学の知見から、当時の恐竜の生活までを推測する研究をしています。恐竜の生活の様子が分かることで、その時代の地球環境についての新発見につながっていくかも知れません。恐竜研究は、太古から続く地球の歴史を紐解く可能性を秘めたもの。今後新たな化石や骨の発見があれば、私たちがまだ想像もしたこともない恐竜の姿や当時の環境が明らかになっていくかもしれません。これからも新たな発見に期待しましょう。
この人に聞いてみた

小林快次さん
北海道大学総合博物館副館長・教授。大阪大学総合学術博物館招聘教授。1971年、福井県福井市生まれ。米国ワイオミング大学卒業後、米国サザンメソジスト大学にて日本人として初めて恐竜で博士号を取得。国内だけではなくモンゴルや米国アラスカ、カナダなどで発掘調査を精力的に行う世界を代表する恐竜研究者。獣脚類恐竜を中心に恐竜の分類や生態について研究を行っている。最近では、北海道のカムイサウルスや兵庫県のヤマトサウルスを命名した。令和2年度文部科学大臣表彰(研究部門)受賞。
ライタープロフィール
