新しい道を切り開いた「瑛人」デジタル音楽市場拡大から見る音楽の未来とは?

新しい道を切り開いた「瑛人」デジタル音楽市場拡大から見る音楽の未来とは?

新しい道を切り開いた「瑛人」デジタル音楽市場拡大から見る音楽の未来とは?

「香水」で一躍時の人となった新人アーティスト瑛人のブレイクの背景とは?変化する日本音楽業界、音楽の未来を音楽ジャーナリストが紐解きます。

音楽ストリーミングサービスの普及で変わる音楽業界

音楽業界に、大きな地殻変動が起こっている。

SpotifyやApple Music、LINE MUSICなどのサブスクリプション型のストリーミングサービスが普及したことでヒット曲の生まれ方が大きく変化。コロナ禍で産業全体が大きな打撃を受ける一方で、レコード会社や大手事務所が仕掛けるマスメディアのプロモーションとは全く別のルートで無名の新人アーティストがブレイクし成功を掴むようになってきている。

今までとは異なるルートでブレイクした「瑛人」

その象徴となった1曲が、男性シンガーソングライター、瑛人による「香水」だろう。ハンバーガーショップでアルバイトをしていた23歳の瑛人が昨年4月に配信限定でリリースしていたこの曲は、今年に入ってチャートを急上昇。5月25日付のBillboard JAPAN 総合ソング・チャート“JAPAN HOT 100”では、Official髭男dismなどの人気アーティストをおさえて1位となった。

今までとは異なるルートでヒットした瑛人の「香水」

特筆すべきは、瑛人が、少なくともこの曲をリリースした時点では、レコード会社にも芸能事務所にも所属していない完全なるインディペンデント(独立系)のアーティストであるということだ。

彼が用いたのが、デジタル・ディストリビューション・サービスの「TuneCore Japan」。誰でも一定の手数料を払えば各種音楽ストアでのダウンロード販売やストリーミングサービスでの楽曲配信が可能になり、そこから得られる収益を100%アーティスト側に還元するサービスだ。

瑛人の「香水」はインディペンデントアーティスト初の国内チャート1位となったが、特に若年層のユーザーが多いLINE MUSICのランキングを見ると、りりあ。「浮気されてもまだ好きって曲。」などTuneCore Japanを用いてリリースされたインディペンデントアーティストのヒット曲が今年に入って顕著に増えている。

こうした変化はどのようにして起こってきたのか。背景にあるのは、新型コロナウイルスの感染拡大による影響だ。

新型コロナウイルス流行でダメージを受けたライブエンターテイメント産業

コロナ禍によって音楽業界は飲食業や観光業に並んで大きな打撃を受けたが、なかでも壊滅的なダメージを受けたのがライブエンターテイメント産業だ。感染リスク抑制のためいわゆる「3密」の回避が叫ばれ、ライブハウスやイベント会場がまさにこれに該当したことが大きかった。

2月26日に政府から大規模イベント自粛の要請が発表された後には数ヵ月にわたってほぼ全てのライブが中止または延期。緊急事態宣言の解除後もライブイベントへの客足は戻っていない。7月からは業界別のガイドラインに沿ってイベント開催制限は段階的に緩和されていったが、8月から9月にかけて毎週末に開催されていた夏フェスもほぼ中止・延期またはオンラインでの開催となった。

新型コロナウイルス流行でダメージを受けたライブエンターテイメント産業

ぴあ総研の発表によると、ライブエンターテイメント産業の損失額は5月までに約3,600億円に達したという。昨年には約330億円に達していたフェス市場も今年は9割以上減となる予測だ。昨年まで右肩上がりで成長を続け活況を呈していたライブエンターテイメント市場が、ほぼ“消失”するほどの大きな打撃となっている。

また、CD市場にとってもコロナ禍は逆風となった。長らく低下を続けてきたCDセールスを支えてきたのがアイドルグループなどによる特典商法で、なかでも握手会やハイタッチ会やツーショットチェキなどを特典にすることでCD売上を伸ばす「接触商法」と呼ばれる手法が広く用いられていたのだが、コロナ禍でこうした接触イベントは全て中止となった。

デジタル音楽市場はコロナ禍でも好調

その一方、コロナ禍でも比較的ダメージを受けていないのがデジタル音楽市場だ。特にストリーミングサービスはユーザー数、売上ともに拡大を続けている。宇多田ヒカルやサザンオールスターズ、最近では米津玄師などのトップアーティストがストリーミング配信を解禁し、あいみょんやKing Gnu、Official髭男dismなどストリーミングサービスからのブレイクが続いたことも大きい。瑛人だけでなくYOASOBIなど2020年に入ってそれまで無名のアーティストがブレイクすることが増えてきているが、その背景にはコロナ禍によってストリーミングサービスの存在感が増したことがある。

TikTokの影響も大きい。瑛人「香水」がヒットした直接的な理由はTikTokでバズが生まれたことだ。今年4月頃からこの曲をカバーした動画をTikTokに投稿するユーザーが増え始め、YouTubeや各種SNSにもカバーやダンス動画が次々と投稿されてムーブメントが広がった。TikTokはフォロワー数の多いインフルエンサーの投稿よりもユーザーの自発的な参加によって自然発火的にバズが広がるのが特徴だ。例えば昨年に、19週連続全米シングルチャート1位という記録を達成したアメリカのラッパー、Lil Nas Xの「Old Town Road」も、ブームのきっかけになったのはTikTokでダンスチャレンジが広がったことにある。

特に新型コロナウイルスの感染拡大で「ステイホーム」といわれた外出自粛の日々には若年層だけでなくSNSの利用時間が増えたはずだ。特に2020年に入ってからはダンスチャレンジやユーモラスなネタ動画よりも、共感できるエモーショナルな歌詞をフィーチャーした動画、弾き語りによる「歌ってみた」動画の人気が高く、こうしたムーブメントが瑛人「香水」のヒットに寄与したと思われる。

デジタル音楽市場拡大が牽引する音楽市場の展望

では、今後の音楽市場の先行きはどうなっていくのか。おそらく、コロナ禍が終息するのはかなり先のことになりそうだ。特に大勢の人が密集して行われる大規模イベントが以前のような形で安全に開催できる見通しは遠く、ライブエンターテイメント産業も、付随する様々な業界も影響の長期化は否めない。サザンオールスターズなどの大物アーティストを筆頭に数々のアーティストやライブハウスが電子チケット制の有料オンラインライブを開催しており、しばらくはこちらが主流になりそうだ。

また、今後ストリーミングサービス発のヒットはさらに多くなってくるだろう。サービスや契約にとっても異なるので一概に括ることはできないのだが、ストリーミングサービスでは再生回数1回あたり0.3円から1円ほどの収益がアーティスト側に還元されるといわれる。この金額を基に「CDに比べてサブスクは収入が少ない」といわれることもあるが、実はそれは近視眼的な見方にすぎない。むしろ、今起こっているのは、より根本的な音楽ビジネスの構造の変化だ。

従来ならば、自らの作品を広く世にリリースするためにはCDをプレスし、レコード会社から全国に流通させ販売する必要があった。しかし、TuneCore Japanのようなデジタル・ディストリビューション・サービスが広まったことで、ミュージシャンはレコード会社に所属せずとも音源を発表しそこから収益を得ることが可能になった。楽曲のレコーディングに多額の費用が必要だった時代にはその制作費を拠出したレコード会社が原盤権を持つのが通例だったが、デジタル技術の進歩でミュージシャンがDIYで音源制作できるようになり、ミュージシャン自身が原盤権を持つケースが増えたことも、その変化を後押しした。

そして、現在、様々な音楽企業がTuneCore Japanのようなデジタル・ディストリビューション・サービスをスタートさせている。BTSの世界展開もサポートした「The Orchard」やサカナクションらが所属するヒップランドミュージックによる「FRIENDSHIP.」など、国内外で様々な多くのデジタル・ディストリビューターが、インディペンデントな形態で活動するアーティストのサポート役をつとめるようになってきている。

IFPI(国際レコード産業連盟)の発表によれば、2019年の全世界の音楽市場は5年連続でプラス成長を実現し、売上規模は200億ドルを突破した。CDからストリーミングへの移行が遅れたことが足かせとなり停滞が続いていた日本の音楽市場も、おそらく2020年以降はこれに続く動きを見せるだろう。

新たなモデルを基に登場したミュージシャンたちが、これからのデジタル音楽市場を牽引していくはずだ。

ライタープロフィール
柴 那典
柴 那典

1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、WEB、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。主な執筆媒体は「AERA」「ナタリー」「CINRA」「MUSICA」「リアルサウンド」「NEXUS」「ミュージック・マガジン」「婦人公論」など。著書に『ヒットの崩壊』(講談社)『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)がある。

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