失われつつある伝統の美味しさ

パンの歴史は、紀元前8000年ごろのメソポタミア地方に遡るといわれています。当初は小麦粉と水をこね合わせて焼いたものでしたが、後にエジプトでサワー種(発酵種、英語ではsourdough)を使って、より風味の良い美味しいパンを焼く方法が生み出され、その後、ヨーロッパ各地へと広まっていったと考えられています。
その過程でパンの製法は土地ごとに独自の変化を遂げ、サワー種にも様々なバリエーションが生まれました。サワー種は小麦粉、ライ麦粉などを水と混ぜ、果実や穀物などに付着している酵母や乳酸菌などの微生物によって発酵させたもので、その土地の気候や農産物、食文化が色濃く反映されています。

例えば、ブドウ栽培が盛んな地域ではブドウに付いている菌から作るサワー種が、ライ麦がよく食べられる地域ではライ麦に付いている菌から作るサワー種が多く使われています。各地のサワー種は、各家庭やベーカリーで培養を繰り返すことで脈々と受け継がれ、世代を超えてご当地パンの味を伝えてきました。つまり、サワー種の違いがパンの風味や食感の違いを生み、長い時間をかけて、その土地ならではのパンやそれを取り巻く食文化を育んできたのです。
ところが19世紀後半、パンを効率よく膨らませる酵母のみを分離・純粋培養した「イースト(別名:パン酵母)」が普及し始めると、各地で伝承されてきたサワー種が次々に姿を消しはじめました。というのも、サワー種は培養や保管に膨大な時間と手間暇を要するのに対し、イーストは工場での大量生産が可能なうえ、保管も簡単だからです。イーストの登場によってパン作りにかかる時間や労力が軽減され、美味しいパンが安定供給できるようになった一方で、各地域や家庭で受け継がれてきたサワー種は伝承者を失い、そのサワー種によって作られる個性豊かなパンがこの世から少しずつ姿を消してしまいつつあるのです。
世界中から貴重な発酵種を集めた「サワー種ライブラリー」

この状況に危機感を抱いたのが、製パンや製菓のプロフェッショナル向けの原材料を製造・販売するグローバルカンパニー、ピュラトスです。ピュラトスでは2013年、世界各地に伝わるサワー種を収集・保管する世界初のライブラリー「サワー種ライブラリー」をベルギーのセント・ヴィッツに設立、イタリアの「アルタムーラブレッド」やメキシコの「ビロテ」などの個性豊かなパンをつくる貴重なサワー種を20か国から124種類(2020年2月現在)集め、最適な環境下で保管・培養を行っています。
ライブラリーの目的は単に菌を保管・培養するだけでなく、各サワー種を使った製パンの知識や技術を記録すること、そして各地でご当地パンとともに受け継がれてきた食文化を、次の世代に伝承していくことです。ライブラリーでは、代表的なサワー種に関するストーリーや情報をまとめた動画を制作し、オンラインで楽しめるバーチャルツアー(外部サイト)も提供しています。

日本から唯一、サワー種ライブラリーに収蔵された発酵種は?

実は、このサワー種ライブラリーには、日本からも1種類だけ、貴重なサワー種が収蔵され、大切に保管・培養されています。それは、日本を代表する老舗ベーカリー「銀座木村家」の「酒種発酵種」です。酒種発酵種は、米と麹、水から作られる米食文化の国・日本ならではのサワー種。銀座木村家では創業以来150年以上にわたって「種師(たねし)(※)」と呼ばれる専門職人が脈々と酒種発酵種を守り続け、看板商品である「酒種あんぱん」をはじめ日本人の舌や食生活に合うパンを数多く発売、日本におけるパン文化の発展を牽引してきました。
※現在は「酒種室」を設置

ピュラトスジャパンで広報を担当する佐藤千景さんは、「サワー種ライブラリーに寄贈いただいたことによって、酒種発酵種そのものだけでなく、『日本にパン食を広めたい』という木村家創業者の熱い想いや日本のパン文化の豊かさをも、世界の皆さまに紹介できるようになりました」と話しています。
安全で美味しい食、豊かな食文化を次の世代へ

ピュラトスは、現在も世界中でサワー種のリサーチを続けており、その一環として、サワー種に関する情報交換型ネットコミュニティサイト「The quest for SOURDOUGH(外部サイト)」も開設。このサイトでは、世界各国からすでに約1,720種類(2020年2月現在)のサワー種が登録されています。

広報の佐藤さんは「ピュラトスはサワー種を使った製パンの知識と、おいしいパンを作るために受け継がれてきた貴重なサワー種の伝統を守り、育て、つないでいきながら、豊かな食文化の実現に貢献できる活動を続けていきます」と話しています。

最近は、芳醇で豊かな香りや味わいが楽しめるサワー種パン(サワードゥブレッド)の人気が高まっており、2014年から2018年までの4年間でサワー種を利用した商品の数がほぼ倍増(ピュラトス調べ)するなど、その市場規模も世界的に拡大を続けています。日本でもここ数年、ベーカリーだけでなくスーパーやコンビニエンスストアでもサワー種パンが手に入りやすくなってきました。

美味しさだけでなく、パンという食品のもつ歴史や各地の豊かな食文化を知る楽しみも味わうことができるサワー種パン。皆さんも、ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。
取材協力:ピュラトスジャパン
ピュラトスジャパン株式会社 ウェブサイト(外部サイト)
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