歌舞伎俳優から音楽の演奏者まで多岐にわたる人材を養成
伝統芸能の養成事業を行っているのは、国立劇場や国立能楽堂(いずれも東京都)、国立文楽劇場(大阪府)などを運営している独立行政法人日本芸術文化振興会。歌舞伎や能楽、文楽、大衆芸能などの分野で伝承者を養成すべく研修を行っています。
「養成事業は1970年の歌舞伎俳優から始まりました。歌舞伎は親から子へ、師匠から弟子へとそれぞれの家ごとに芸の伝承が行われてきましたが、後継者不足のため俳優の人数が減ってきました。そこで国としても伝承者の養成に関わり支えていこうという目的で始まったのです」と話すのは、同振興会で研修生の養成実務に携わっている養成課の担当者。
歌舞伎について言えば、舞台でナレーターの役割を務める竹本(義太夫と三味線)、情景や心情などを音楽で表す長唄(唄と三味線)や鳴物(笛、太鼓、鼓など三味線以外の楽器)の演奏者など、俳優以外にも多岐にわたる人材を育てています。中学を卒業した15歳から23歳までの男性が対象で、養成期間は2年(長唄コースのみ3年)。


実際に舞台を見て、「自分もあそこに立ちたい!」と応募
「応募してくる人の多くは、テレビなどのメディアで取り上げられる歌舞伎の世界に憧れてというよりも、歌舞伎座や国立劇場、地方の劇場での公演、あるいは各地の地芝居としての歌舞伎を実際に目にして好きになり、自分も舞台に立ちたいという強い意志を持っています」。

歌舞伎俳優の家に生まれれば、幼い頃から芸の基本やしきたりを自然と身に着け、子役として舞台を踏む機会も豊富に用意されているため、一般家庭で育った研修生とは歴然とした差が生まれます。研修生たちは、そうしたハンディキャップは承知の上で、それでも好きな歌舞伎の世界に身を置きたいという気持ちで研修に取り組んでいると言います。
現在、舞台で活躍する歌舞伎俳優の約30%は研修修了者で占められており、中には中村歌女之丞(かめのじょう)さん、中村梅花(ばいか)さんのように幹部にまで昇格した俳優も。いまや養成事業は歌舞伎の芸を伝承していく上で不可欠なものになったことを物語っています。
当代一流の講師陣が、自身の芸の担い手を「我が事」として育てる
講師陣には、歌舞伎俳優の中村時蔵さん、昨年人間国宝に認定された竹本葵太夫さんなど、それぞれの第一線で活躍している方々が名を連ねています。
「修了したら芸の担い手となるわけですから、講師の方々は我が事として取り組み、それだけ期待をかけ、厳しくも愛情をもって育てていらっしゃいます」
歌舞伎俳優を例にすると、歌舞伎実技、立廻り、とんぼ(宙返り)日本舞踊といった舞台に直結するものだけでなく義太夫や長唄などの音楽、化粧のしかた、衣裳についての知識と扱い方、歌舞伎の歴史についての講義などカリキュラムは多岐にわたり、平日の10時から18時まで研修はびっしり。
国の支援の下に行われているため、研修に関わる費用は無料。できるだけ経済的な負担を軽くしたいと、伝統芸能伝承奨励費の貸与制度も用意されています。そして、研修修了後は全員がいずれかの一門に所属し、舞台に立つことになります。

「今年は養成事業がスタートして50周年の節目の年に当たり、様々な記念事業を計画しています。いままでの事業の成果を広く知ってもらえるようなイベントを考えています」と担当者。
女性のセカンドキャリアとして注目のコースも
ご承知のように歌舞伎は男性の世界ですが、大衆芸能の寄席囃子と太神楽(獅子舞、曲芸など)、能楽の研修については女性にも門戸が開かれています。中でも女性のセカンドキャリアとして注目を集めているのが寄席囃子。寄席囃子とは三味線のほか太鼓や鉦なども加わって演奏される寄席の音楽のこと。その演奏者を養成する研修コースの応募対象となるのは、45歳以下の女性。また、他のコースが経験不問であるのに対し、寄席囃子については「長唄三味線の素養のある者」を対象としています。

「噺家の方々が高座に上がる際に演奏する出囃子は噺家それぞれに異なり、数百曲にもなります。それをすべて覚えなければならないので、最低限三味線を扱えるというところからスタートしないと2年の研修期間では修まらないのです」。
この他、ハメ物と呼ばれる落語の中に出てくる曲や、紙切りなどの寄席芸の中で弾く曲もあります。例えば、紙切りでお客さまから「●●のキャラクターを切って」と言われたときは、とっさにそのキャラクターのテーマを弾くといった機転も必要だそうで、それに対応できるように西洋音楽で用いられる五線譜の楽譜で三味線を弾いたり、三味線の音を五線譜に移したりといった研修も行われています。
「皆さん、それまで趣味で習ってきた長唄三味線を生業にしたい、寄席の舞台で自分の腕を活かしたいといった動機で応募して来られます。専業主婦の方やまったく別の職業に就いていた方が、セカンドキャリアとしてチャレンジしたいというケースも少なくありません」
それぞれの伝統芸能の世界で、親から子へ、師匠から弟子へと代々受け継がれてきた無形の“技”。そこに、広く一般から後継者を募集する伝承者養成制度が加わり、伝統芸能の現在と未来を大きく支えているのです。
画像提供:独立行政法人 日本芸術文化振興会
ライタープロフィール

ライター・編集者。大学卒業後、コンサルティング会社、編集プロダクションを経てフリーランスに。雑誌やウェブで記事を執筆するほか、単行本の企画、編集も手掛けている。
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