医療の未来―iPS細胞が変える医療のこれから―

医療の未来―iPS細胞が変える医療のこれから―

医療の未来―iPS細胞が変える医療のこれから―

仕事、育児、家事など日常生活を送るなかで、突然訪れるのが病気の怖さ。医学の進歩がニュースに取り上げられる一方で、まだまだ病気に苦しむ人が多いのも現実。これから先の医療はどのように進歩し、私達の健康を支えてくれるのでしょうか。

早期発見・早期治療のための技術の進歩

「私が研究を始めたのが約40年前のこと。当時、不治の病とされていた病気も、現在では少なくない数の治療法が発見されています。遺伝子レベルでの診断や画像解析などの検査技術も向上し、医療は明らかな進化を遂げています」

お話をうかがったのは慶應義塾大学医学部 生理学教室の岡野栄之教授。2012年のノーベル生理学・医学賞の受賞によって山中伸弥教授によるiPS細胞の研究が注目を集めましたが、山中教授とともに長くiPS細胞を活用した再生医療や創薬研究を主導する、世界的に注目される研究者の一人です。

2015~2017年には慶應義塾大学医学部長を務めた岡野教授
2015~2017年には慶應義塾大学医学部長を務めた岡野教授

「早期発見の大切さ」は健康に関心のある人なら、一度は耳にしたことのあるフレーズだと思います。私達はそのために日頃の健康診断や人間ドックを受けるわけですが、もちろん病気を見つけるのは私達ではなく、病院で働く医師達。医療の進歩というと新しい薬や治療法に目が向きがちですが、病気を発見するための技術の発達も重要なポイントの一つとなるわけです。

「癌などがいい例ですが、これまで治らない・治り難いとされてきた疾患も、早期発見・早期治療介入によって、完治する可能性が大幅に高まります。“病気を見つける”というと簡単そうに聞こえる話ですが、これが医療の進歩にとって非常に大きなハードルでした。この技術進歩の後押しとなったのが、インフォマティクスと呼ばれるIT技術の進化です。他分野と同様に医療においても、AIやビッグデータといった技術の存在が革新をもたらしてくれたのです」

身近なところではネットショッピングや自動車の自動運転、最近では家電にも活用されているAIの技術が、医療分野にも貢献しているとは驚かされます。AIだけでなく、情報技術の進化も目を見張るものがあります。例えば遺伝子情報の解析は、昔は数千億円、十数年とかかるのが普通でしたが、今では数万円、数時間でできてしまいます。そうなると、医療の未来はビッグデータなどの膨大な情報を基に、AIが私達を診断して、その治療法を導き出してくれるようになるのでしょうか?

「なかなかそう簡単にはいかないんですよね。AIが実力を発揮している囲碁や将棋は、ルールがはっきりしていますが、これと違って、病気にはルールがありません。さらに病気を治療するなかでは、患者さんの生活背景など、様々な事柄を踏まえて対応する必要があります。AIがそこまで複雑な情報を処理できるのかというと、至っていないのが現実です。現場の医師や看護師、その他医療に関わる多くの人の力がまだまだ必要です。つまり、人間側の努力も不可欠なのです」

情報技術と医療の相互発展にはさらなる時間が必要
情報技術と医療の相互発展にはさらなる時間が必要

再生医療と創薬研究。iPS細胞が医療に与えるインパクト

そして医療分野の大きなトピックといえば、iPS細胞の登場です。「よく耳にはするけれども、実際のところはどういうものかわからない」という人も多いと思いますが、簡単にいうと、“人工的につくられた、人体のあらゆるものに変化できる細胞のもと”。例えばあなたの皮膚から採取した細胞を基にiPS細胞を作成すれば、その細胞はあなたの体の何にでもなってくれる、というわけです。これを活用すれば他人からの移植に頼らずに、iPS細胞から体のパーツを作成し、それを移植するという「再生医療」が実現します。2020年の1月には、iPS細胞から作成した心筋細胞シートを重度の心臓病患者に移植する治験が日本で行われました。

さらにiPS細胞には、もう一つの大きな活用法があります。それは病気の人から採取した細胞で作成したiPS細胞を使って“病気を再現できる”ということ。再現した病気を研究し、それを用いて薬品の効果を測ることによって治験までのプロセスが大幅に効率化され、薬品開発の精度とスピードが飛躍的に向上します。

「私自身が研究している筋萎縮性側索硬化症(ALS)治療についても、ALS患者さんなどの血液細胞から作ったiPS細胞を活用して病気を再現するところからスタートしました。病気を再現した神経細胞を解析して、病気の細かな症状や原因を明らかにし、そこに効果のある薬品を試していく。既に実際の患者さんへの治験が始まっていますが、この研究の土台となっているのは間違いなくiPS細胞です。再生医療だけでなく、創薬研究の場でもiPS細胞は画期的な存在なのです」

病気になる前段階からのケアを行うために

遺伝子解析から未来の病気を予測する?
遺伝子解析から未来の病気を予測する?

運動を司る神経が侵され、発症から3~5年で呼吸筋が機能不全に陥るALS。国の指定難病であり、抜本的な治療法のない不治の病の治療法確立に挑む岡野教授ですが、このような疾患の研究、治療法の探求が進むなか、未来の医療にはどのような姿が予測されるのでしょうか。

「自分がどういう病気のリスクを抱えているか、そこに対してどのように対処していくか。神奈川県の黒岩知事は、『未病』という言葉を用いていますが、病気になる前段階で防いでいく予防医療、さらには病気になる前のケアを積極的に行っていく先制医療という考え方に今後スポットがあたるでしょう」

岡野教授は医療研究と企業をつなぐ活動にも積極的に取り組んでいる
岡野教授は医療研究と企業をつなぐ活動にも積極的に取り組んでいる

遺伝子解析やiPS細胞の作成といった技術も、高い費用と長い時間を必要としていた昔に比べ、徐々に身近なものとなっています。自分の遺伝子を解析して、将来の病気のリスクを把握する。そんなSFのような未来も、決して非現実的ではないのかもしれません。

「一人ひとりの身体に合わせた医療を実現するための技術を確立させる一方で、様々な症状に対して効果を発揮するcommon(共通性)な医療技術も確立していく。その両輪で今後の医療は進化していくと思っています。その大きな推進力になっているのが、遺伝子解析やiPS細胞といった技術の進展です。研究現場や病院と、国、企業などとの連携が進むことで、その成果はこれまで以上に大きく社会に還元されていくはずです」

この人に聞きました
岡野 栄之 教授
岡野 栄之 教授
1983年、慶應義塾大学医学部卒業。医学博士。大阪大学、アメリカ・ジョンズホプキンス大学、筑波大学、東京大学など数多くの研究機関を経て、2001年より慶應義塾大学医学部生理学教室教授に。脳や脊髄の神経再生という最先端の医療研究分野で、世界でもっとも注目される研究者の一人。医療系企業の科学顧問や社外取締役も務める。2009年、紫綬褒章受章。
ライタープロフィール
石田 俊彦
石田 俊彦
2004年明治大学商学部卒業。飲食雑誌・ビジネス雑誌等の編集記者を経て、広告代理店で主に教育機関の広告制作を手掛ける。その後、IR支援会社を経て、2018年より広告制作・編集者・ライターとして活動。

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