オリンピックに見る日本のモダン建築

オリンピックに見る日本のモダン建築

オリンピックに見る日本のモダン建築

オリンピックは街の景色を変えてしまうほどの大きな影響力を持っています。今回は、日本の目覚ましい発展の原動力の一つとなった、1964年の東京オリンピックをふり返りながら、日本の代表的なモダン建築についてみていきましょう。

オリンピックは街の表情をガラリと変える

世界中が注目するオリンピックは、スポーツの世界大会というだけでなく、国が総力を注ぎ、自国の技術や文化を世界にアピールする場でもあります。とりわけ国が成長期にあるときは、知識や技術を駆使して多くの建物を手がけ、国内外に国の文化的成熟度をアピールできる絶好の機会となります。

日本でも1964年に開催された東京オリンピックを機に多くの建物が作られ、50年以上を経た今も街のランドマークとして親しまれています。

1964年の東京オリンピックを振り返る

現在の姿からは想像もできませんが、1964年以前の東京は道路や地下鉄、空港、下水道などが十分とはいえず、木造バラックの家がひしめいていたといいます。先進国からは“東京ムラ”という蔑称で呼ばれることも少なくなかったようです。

東京オリンピック開催に伴い、新しい建物が次々と作られました。同時にインフラも整備され、東海道新幹線が開通し、羽田空港も整備されました。首都高速道路や主要道路の一部が拡幅および開通、新たな地下鉄やモノレールの開通など、交通網も大きく変わりました。

1964年の東京オリンピックは、大型都市計画を伴い、街の風景そのものがガラッと変わったのです。その中にはもちろん、競技会場などの建築物も含まれます。

日本のモダン建築の最高傑作、国立代々木競技場第一体育館

日本のモダン建築の最高傑作、国立代々木競技場第一体育館
国立代々木競技場第一体育館

1964年の東京オリンピックのシンボルとして、今も現存するのが、主要会場の一つとなった国立代々木競技場第一体育館(旧・東京オリンピックプール/国立屋内総合競技場)です。吊り橋の吊り構造を用いたシャープにして優美な、日本の伝統美にも通じるところのあるデザインは一度見ると強く印象づけられます。

国立代々木競技場第一体育館のデザインを手がけたのは、1990年代に東京都新庁舎やフジテレビ本社ビルをデザインした丹下健三氏。戦後日本のモダン建築スタイルを世界に発信した第一人者です。

丹下氏はオリンピックより約10年前の1955年、広島平和記念資料館および平和記念公園(旧・広島ピースセンター)で、日本の木造建築に見られる柱と梁の構造をコンクリートに置き換え、和洋そして新旧を融合したデザインで世界に衝撃を与えました。

余談ですが、1961年に丹下氏は東京湾をベースに海上都市を構想した「東京計画1960」を発表。その構想は、1964年の東京オリンピックでは実現されませんでしたが、56年後の2020年東京オリンピックでは、臨海部も会場に含まれています。

記念塔が印象的な駒沢オリンピック公園総合運動場

記念塔が印象的な駒沢オリンピック公園総合運動場
駒沢オリンピック公園総合運動場

現在も様々なスポーツ大会の会場として利用されている駒沢オリンピック公園総合運動場も、1964年の東京オリンピックの第2会場として使用された場所です。

公園やいくつもの競技場を擁し、その歴史は1949年に開催された第4回国民体育大会の、ハンドボールコートとホッケー場の建設に始まりました。その後、バレーボールコートや弓道場が造られ、1964年東京オリンピック開催に際して、弓道場以外の全面的な改修整備が実施され、陸上競技場、体育館、屋内球技場など6つの施設が完成しました。

競技場以外でも、駒沢オリンピック公園総合運動場で思い起こされるのは、中央広場の北側に設けられたオリンピック記念塔ではないでしょうか。公園全体を見渡すと低層施設が多い中、50mの高さがあるこのオリンピック記念塔はひときわ目立つ存在です。各層に張り出した「ひさし」が、現代の五重塔のようにも見えますね。

メインスタジアムの国立競技場

メインスタジアムの国立競技場
新国立競技場

旧国立競技場は、もともと1958年5月に開催された第3回アジア大会のために建設されたもので、その後、拡張工事を経て、東京オリンピックではメイン会場として開会式、閉会式のほか、陸上競技やサッカー、馬術などの競技で活用されました。オリンピック後も数々のスポーツ大会やイベントの会場として親しまれましたが、2015年、新国立競技場建設のために解体されました。

さて、新国立競技場については、2012年にいったんはイギリスを拠点にした建築家のザハ・ハディド氏の案が選出されたものの、工期・費用の問題から白紙撤回され、改めて募集した大成建設・梓設計・隈研吾氏のチームによる案が採用。2019年11月30日に新たな姿で竣工したことは、記憶に新しいところではないでしょうか。

日本武道館も東京オリンピックを契機に造られた

日本武道館も東京オリンピックを契機に造られた
日本武道館

また、意外な印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、コンサートなどの大型イベントの会場として使われることで知られる東京・九段下の日本武道館も、1964年の東京オリンピックをきっかけに建てられたものです。武道館という名前が示すように、柔道会場として使われました。

武道館の建物は、日本の武道精神を象徴するようなデザインになっており、エントランスやロビーなどに日本的なスタイルが取り込まれています。形は正八角形で東西南北の方位を明確にしており、奈良の法隆寺・夢殿を彷彿とさせます。

なお、東京のシンボルとして語り継がれる建築物が建てられたのは、競技場に限りません。オリンピックに合わせて来日するアスリートや観光客のためのホテルも、多く建てられました。ホテルニューオータニ、ホテルオークラ東京(旧・ホテルオークラ)、東京プリンスホテルなどがそうです。

これからの建築に求められるもの

1964年の東京オリンピックの頃に建てられたこれらの一連の建築物はモダニズム建築と呼ばれました。しかし、合理性や機能性に重点をおいたため、味気なくなったのではないか、という反省から、1980年代にはポストモダニズムと呼ばれる動きが起こり、1990年代に入ると新しい素材やコンピュータの導入が飛躍的に進みます。

歳月を経たモダニズム建築は老朽化が進み、当時は革新的だった機能性においても不自由な点が目立つようになりました。

現在の建築物は、デザイン性だけでなく、コスト面、新素材の採用、環境への配慮、バリアフリーなどの観点を盛り込むことが必至です。

さらに一度建てると簡単には建て直しができない大型建築物の場合、現在はもとより先の時代を見据えた大胆なアイディアも盛り込むことになります。

渋谷から国立代々木競技場第一体育館、新国立競技場を望む
渋谷から国立代々木競技場第一体育館、新国立競技場を望む

建築は使って初めてその価値が見出せる側面もあり、できたばかりの段階で評価するのは難しいものです。1964年の東京オリンピックの建造物をしっかり振り返ることができるのは、その後の社会の動向を含め、十分な歳月を経てからです。今も街のランドマークとして知られる建物が目立つのは、当時の最先端の技術やアイディアが集約されていたことの証でしょう。

おなじみの建築物もその背景を知ると、見え方が少し変わってきます。2020年の東京オリンピックも建造物に焦点を当てると、また違った楽しみ方ができるのではないでしょうか。

2020年の東京オリンピックの建築が、どんな未来を私たちに示唆してくれるのか、期待したいですね。

ライタープロフィール
羽根 則子
羽根 則子
大学卒業後、出版編集プロダクション、広告制作会社勤務を経て、渡英。2001年帰国後、フリーランスのダイレクター、編集者、ライターとして、出版、広告、ウェブメディアにおいて、企画、構成、編集、執筆などを行う。とりわけ食の分野においては、専門誌や書籍などに深く携わり、手がけた書籍多数。ライフワークはイギリスの食。近著に『増補改訂 イギリス菓子図鑑』。羽根則子紹介ページ(外部サイト)

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