北里柴三郎が新1, 000円札に 一体どのような人?【お金から紐解く偉人伝】

北里柴三郎が新1, 000円札に 一体どのような人?【お金から紐解く偉人伝】

北里柴三郎が新1, 000円札に 一体どのような人?【お金から紐解く偉人伝】

紙幣のデザインから歴史を学ぶ本連載。第三回目となる今回は、2024年度発行予定の新1,000円札に選ばれた細菌学の父である北里柴三郎について。北里柴三郎とはどんな人物だったのか、彼の研究が世の中にどういった影響を与えたのか、紹介します。

お札に描かれる人物について分かりやすく解説

日本に流通する紙幣。そこに描かれる人物の写真や名前は知っていても、どのような理由で「紙幣の顔」となっているのかをご存知ない方も多いかもしれません。「お金から紐解く偉人伝シリーズ」では、紙幣に描かれた人物の功績やエピソード、現代社会に与えた影響までを分かりやすく解説します。

国内外での感染症予防と治療に貢献した北里柴三郎

国内外での感染症予防と治療に貢献した北里柴三郎

出典:新札イメージ 財務省(外部サイト)

2024年度上期を目途に、デザインを一新予定の1,000円札。新たに印刷される肖像画は、感染力と致死率の高さで恐れられていた「ペスト菌」を発見したことで知られる、北里柴三郎です。現行1,000円札の野口英世に続き、今度の刷新も医療関係の偉人となりました。

北里柴三郎は発症すると死亡する確率が高いことで知られる「破傷風」の予防・治療法を開発したことで、世界に認められる細菌学者としての地位を確立。1894年には香港で流行していた感染症「ペスト」の原因調査に赴き、「ペスト菌」を発見するなど、国内外での感染症予防と治療に貢献したことで知られています。

そんな北里柴三郎とは、どんな人物だったのか。生い立ちや成し遂げた偉業をもう少し詳しく見ていきましょう。

北里柴三郎とは?

北里柴三郎は1853年1月29日、現在の熊本県小国町で生まれました。「孤独に打ち勝ち強い心を育てる」という母の教育方針のもと、幼い頃から他人の家に預けられて育ち、実家に戻ることはほとんどなかったといわれています。

18歳になると、医者になって欲しいという親の願いもあり、熊本医学校(現・熊本大学医学部)へ進学。そこで出会ったオランダ人医学者のマンスフェルトの指導を受け、医学の道を本格的に志すようになります。

卒業後は、さらに東京医学校(現・東京大学医学部)へと進学。在学中に「医者の使命は治療以上に、病気を予防することにある」と確信し、予防医学を一生の仕事にしようと考えるようになっていました。

当時、医学校を卒業した大半の医学士は地元に戻り、高給取りの病院長などに就任するのが一般的だったといいます。しかし北里柴三郎は東京医学校を卒業後、予防医学の普及・研究を行いたいとの目的から、内務省衛生局(厚生労働省の前身)に就職。病院長の月給は200円が相場であったのに対して衛生局員は70円ほどの時代だったそうですが、高い給料を受け取るのではなく、予防医学の普及と研究に力を注ぎたいとの目的意識があったようです。

北里が発見した「抗体」は今日のワクチン開発につながる

北里が発見した「抗体」は今日のワクチン開発につながる

衛生局に就職後は脱水症状によって死に至る「コレラ」の原因をはっきりとさせたり、妊娠しているかどうかの見分け方を広めたりと、めきめきと頭角を表していきました。

こうした衛生局での功績が認められ、北里柴三郎は国からの推薦によって先進医療国であるドイツに留学する機会を得ます。ドイツに渡ってからは、細菌学の第一人者として知られるローベルト・コッホのもとで、研究に打ち込むようになりました。

そこで、当時多くの人を死に至らしめていた「破傷風」について、血液中から菌だけを取り出す「破傷風菌純粋培養法」を世界で初めて開発。さらに、弱毒化した菌の毒素を動物に少量ずつ注射すると、体内で「抗体(体内に侵入してきた異物と戦ってくれるタンパク質)」が作られることも発見しました。

そして、抗体がつくられた動物から採取した血清を、ほかの個体に注入することで破傷風の治療と予防ができる「血清療法」を開発。伝染病に対する有効な予防・治療法が存在しなかった当時、血清療法は画期的な手法だったといいます。血清療法は予防接種などで用いられるワクチンの開発にもつながり、世界中で医療に役立てられるようになりました。

こうした功績により、北里柴三郎は世界で認められる細菌学者としての地位を確立していったのです。

ヨーロッパ人口の3分の1が命を落とした「ペスト」の原因も究明

ドイツでの6年間の留学を経て帰国後、東京に日本初の伝染病研究所が建設され(1892年)、北里柴三郎は所長となりました。この研究所の場所と建設費を提供したのが、現行1万円札の顔として知られる福沢諭吉です。北里柴三郎の研究にかける熱意に感動し、協力を申し出たのでした。

そして帰国後も、設立された研究所で休むことなく伝染病予防と細菌学の研究にあけくれた北里柴三郎でしたが、1894年に再び海外へ向かうことになります。

そのきっかけが、香港で蔓延した「ペスト」でした。

ペストとは皮膚が黒く変色することから別名「黒死病」と呼ばれ、致死率の高さから恐れられていた感染症のこと。中世ヨーロッパで流行した際は、当時のヨーロッパ人口の3分の1が命を落としたといわれています。

そのペストが1890年代に中国南部で再び発生し、香港でも猛威をふるい始めたのです。当時は原因が分からず、感染を防ぐ有効な対策も治療法もなかったといいます。そこへ原因を突き止めるために北里柴三郎らが向かい、「ペスト菌」を発見したうえで、有効な予防法や消毒法を実施しました。

推定される感染経路などが次々と明らかになると、北里柴三郎主導のもと家屋などの消毒や菌を運ぶクマネズミの駆除、また公衆衛生の対策がなされたことで香港は落ち着きを取り戻していきました。ペストの原因となるネズミを退治するために、家でネコを飼うことをみんなに勧めていたという話もあります。ネズミを家の中に侵入させない方法や、ネコが自由に室内を出入りできるような工夫も含めて、ペスト予防の具体策を細かく指導していたそうです。

香港での発見から数年後、ペストは日本国内にも侵入しました。しかし北里柴三郎自身が制定に関わった伝染病予防法のもと、ペストの感染につながるネズミの駆除を徹底させ、終息に導いたといわれています。

なおペストの流行は今でも完全には終わっていないものの、現在は抗生物質によって治療することができるようになりました。

野口英世を始め、多くの優秀な偉人も育成

野口英世を始め、多くの優秀な偉人も育成

1914年、伝染病研究所所長を辞任した北里柴三郎は、私立北里研究所を設立して狂犬病やインフルエンザなどの予防・治療に関する研究を続けました。

その間、自身の研究のみならず、後進の指導にも熱心に取り組んだといわれています。伝染病研究所から私立北里研究所時代で過ごした40年あまりで、赤痢菌発見者の志賀潔や黄熱病の研究で有名な野口英世など優秀な弟子も育成し、日本医学の発展に貢献。「研究だけをやっていてはダメだ。それをどうやって世の中に役立てるのかまで考えるべきだ」という北里柴三郎の信念は、弟子たちにも受け継がれていったのでした。

紙幣(お札)のデザインを変えていく理由

全3回にわたって、2024年度から変更となる新紙幣の登場人物を紹介しましたが、そもそもなぜ紙幣のデザインを変えていく必要があるのか。本連載の最後に紹介したいと思います。

私たちが日常の買い物などで、紙幣を安心して使うためには、偽造されたお金が出回らない環境が大切です。もしも、偽物の紙幣が出回ってしまうと、お金の価値を信用できなくなってしまいますよね。

そのため紙幣に関しては、これまでも20年ごとに偽造防止技術の導入やデザインを新しくする取り組みが行われてきました。そして現在の紙幣は、2004年に発行を開始して以来、2021年で約17年が経過。つまり、ちょうど2024年で20年が経過するのです。

今回の新紙幣は、最新のホログラム技術を使い、紙幣を傾けても3Dの肖像が同じように見える偽造防止対策が導入されるといいます。また、新1,000円札の裏面は、現在の「富士山と桜」から、葛飾北斎の「富嶽三十六景」の一つ「神奈川沖浪裏」へとデザインが変更される予定です。

紙幣のデザインを変えていく理由

出典:財務省(外部サイト)

そんな新1,000円札の表面に印刷されるのが、今回紹介した北里柴三郎。名前は聞いたことがあっても、どんな人物なのか、意外と知らないことが多かったのではないでしょうか。

なお、このシリーズではほかにも、新紙幣に描かれる渋沢栄一や津田梅子についても解説していますので、興味のある方はぜひ読んでみてくださいね。

渋沢栄一が新1万円札に 一体どのような人?【お金から紐解く偉人伝】
津田梅子が新5,000円札に 一体どのような人?【お金から紐解く偉人伝】

参考:
『マンガ&物語で読む偉人伝 渋沢栄一 津田梅子 北里柴三郎』(学研プラス)川田夏子編
学校法人北里研究所 北里柴三郎の生涯(外部サイト)
財務省 なぜ紙幣や貨幣のデザインを変えるのですか?(外部サイト)
北里大学新千円札の肖像について(外部サイト)
北里大学北里研究所病院 北里精神のDNA(外部サイト)

メインビジュアル出典:国立国会図書館(外部サイト)

ライタープロフィール
吉田 祐基
吉田 祐基
株式会社ペロンパワークス・プロダクション所属。AFP認定者(2級FP技能士)。タウン誌、編集デザインファーム、大手不動産情報サイト編集記者を経て入社。これまでコンテンツマーケティングや、ミレニアム世代向けビジネスメディア、不動産広告の取材&ライティングなどを手がける。

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